レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/04/10
- 登録日時
- 2019/12/15 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:40
- 管理番号
- M19060213007947
- 質問
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江戸時代の町屋にあった「厨子二階」はなぜ天井が低いのか。またどのように使用していたか。
- 回答
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日本建築や町家についての本を中心にブラウジングした。
まず、厨子二階の天井が低い理由については、
①『文明開化と明治の住まい』では「江戸時代の町人の家は、天井がなく、厨子二階は物置きとして認められた屋根裏部屋で窓は小さいが、人も住んでいた。明治になると、そんな気兼ねもなくなって天井がついて2階建てとなり、棟が高くなった。」とあり、また越後高田の階段箪笥の説明として「厨子二階へ上がる階段として江戸時代に生まれた。(中略)2階を禁止した役人の取締りに対する庶民の知恵であった。」と書かれていることから、二階を隠すための工夫であることが窺える。
②『よくわかる日本建築の見方』には、厨子二階の用語解説として「江戸時代、「武士を見下ろさないように」との理由で二階建ての町屋は認められませんでした。そこで一階の屋根裏に窓を開け、物置や使用人の住まいに利用した空間を厨子二階といいます。」と、2階建て禁止の意図についても触れられている。
③『古民家探訪』に、「店の奥隅に箱階段があり、階段上の天井はいつでも閉じられる「すべり戸天井」になっている。「二階の天井も低く、二階があるのを分からないようにしていた。上から街道を見下ろしてはいけなかったのでしょう」」と記載されており、厨子二階のことを指していると考えられる。
以下は厨子二階の用途について記載のあったもの。
④『中世住居史』第四章に、「厨子二階は居室に使われないこともないが、物置や使用人の居室の場合が多かったであろう。」とあり、厨子二階家の図が掲載されている。
⑤『京の町屋杉本家』には、厨子二階の天井写真があり、「こうした厨子二階は、一般的に丁稚部屋として使われることも多かった」と記載あり。
⑥『京都千年 8』でも、「町屋の二階の表側は、天井が低く、厨子二階などとよんで、物置や使用人の居住にあてられた。」と書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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①中村 圭介『文明開化と明治の住まい』 理工学社,2000,198p. 参照はp.124,132.
②『よくわかる日本建築の見方』 JTBパブリッシング,2012,143p. 参照はp.106.
③京都新聞社『古民家探訪』京都 京都新聞出版センター,2012,158p. 参照はp.40.
④伊藤 鄭爾『中世住居史』 東京大学出版会,1976,276,19p. 参照はp.194-195.
⑤西川 孟、杉本 秀太郎『京の町家杉本家』京都 淡交社,2018,215p. 参照はp.208と巻頭写真95.
⑥森谷 尅久『京都千年 8』 講談社,1984,236p. 参照はp.82.
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①中村 圭介『文明開化と明治の住まい』 理工学社,2000,198p. 参照はp.124,132.
- キーワード
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- 住居―歴史
- 日本建築
- 室内装飾―歴史
- 家具―歴史
- 建築―日本
- 町家
- 民家―京都府
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2019060213085807947
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000270298