レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/01/27
- 登録日時
- 2017/03/01 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:38
- 管理番号
- M17012718283734
- 質問
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昭和20年(1945)以前に、備中松山城の修復のため地元の学生達が材料を山頂まで運んだというのは本当か。
- 回答
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資料①『増補版 高梁市史 下巻』によると、昭和15年(1940)に皇紀2600年の記念事業として松山城の修築のため、町内各学校の児童・生徒が山頂まで瓦を担ぎ上げた、とある。
資料②『ふるさとの想い出写真集 明治・大正・昭和 高梁』と資料③『目で見る新見・高梁の100年』には、瓦を背負った女子学生が並ぶ昭和15年の同じ写真があり、7月20日からの8日間、夏季心身訓練行事と銘打って小学校高学年児童、中学校生徒、女学校生徒などが約2万枚の瓦を運んだことが紹介されている。
資料④『創立記念史 松籟』には、順正高等女学校生が、昭和15年7月20日より4日間、勤労作業として城がわらを4000枚運んだ記述がある。
また、資料⑤『おもいでの記 おち葉』にも昭和17年卒の順正高等女学校生が「思い出の記」として松山城の瓦運びをあげている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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資料①:高梁市史(増補版)編纂委員会『増補版 高梁市史 下巻』高梁 高梁市,2004,906p.参照はp.273.
資料②:川口幾世至『ふるさとの想い出写真集 明治・大正・昭和 高梁』 国書刊行会,1980,164p,参照はp.7.
資料③:『目で見る新見・高梁の100年』名古屋 郷土出版社,2000,146p. 参照はp.58.
資料④:高梁高等学校記念誌編集委員会『創立記念史 松籟』高梁 岡山県立高梁高等学校記念誌編集委員会,1975,765p.参照はp.170.
資料⑤:高梁高等学校記念誌編集委員会『おもいでの記 おち葉』高梁 岡山県立高梁高等学校記念誌編集委員会,1974,386p,参照はp.279-281.
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資料①:高梁市史(増補版)編纂委員会『増補版 高梁市史 下巻』高梁 高梁市,2004,906p.参照はp.273.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2017012718274783734
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000210850