レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20110803
- 登録日時
- 2011/08/03 16:38
- 更新日時
- 2014/04/06 11:36
- 管理番号
- 茨歴閲2011012
- 質問
-
解決
火薬の原料となる硝石を水戸藩ではどのように製造していたか。また、採集場所や製硝場も知りたい。
- 回答
-
硝石は国内では産出がないため、輸入に頼るか、人工的に作り出す以外には方法はなかったようです。そのため、水戸藩でも硝石の原料となる硝石土を家屋の土台下から掘り集め、それを培養して硝石を製造していました。その工程や採集場所がわかる資料をご紹介します。
- 回答プロセス
-
『水戸の洋学』 沼尻源一郎〔編〕柏書房〔発行〕1977〔当館請求記号 K402/1〕より
藩政初期:藩内で硝石を製造した記録はなし(p.160)。備蓄は城の地下等にしていた。
寛保2年(1742) 太田村の商人武弓彦左衛門が硝石・火薬を製造し,規定書を藩に納入。「御用留摘要」
明和年間 藩の矢倉方奉行所の担当で硝石を生産。
文政8年(1825) 里美地方で猟師鉄砲を支配監督していた4人の郷士に硝石,火薬を江府へ提出するよう命じている。
天保8年(1837) 城西桜町々会所内に人造硝石試作場を設置。
嘉永7年(1854)3月 久慈郡天下野村(水府村)〔→安政5年,山方村へ移転〕,多賀郡徳田村(里美村)に製硝場を建設
文久元年(1861)年 増井村(常北町)に製硝場を建設
文久2年(1862)年 久慈郡和久村(水府村)にも製硝場を建設
- 事前調査事項
-
・五箇山では硝石土を培養して、人工的に製造していた
・家屋の土台下の土から
- NDC
-
- 燃料.爆発物 (575 8版)
- 参考資料
-
- 水戸藩農村の研究 野上 平〔著〕常陸書房〔発行〕1997〔当館請求記号 K612/22〕
-
茨城史林 第2号 茨城近世史研究会〔発行〕1973
-水戸藩硝石生産史序説-野上 平〔著〕 - 水戸の洋学 沼尻源一郎〔編〕柏書房〔発行〕1977〔当館請求記号 K402/1〕
- キーワード
-
- 硝石
- 水戸藩
- 火薬
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000089550