レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年01月14日
- 登録日時
- 2022/01/14 17:04
- 更新日時
- 2022/03/27 14:28
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-155
- 質問
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解決
千本三条付近にあった西高瀬川の舟入について知りたい。
- 回答
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千本三条付近の舟入は,JR二条駅にほど近い,京都市中京区の千本通と三条通の交差点の北西,現在の立命館大学朱雀キャンパス付近にありました。【資料1・3・4】
西高瀬川は,右京区嵯峨の保津川から伏見区下鳥羽の鴨川まで通じる運河です。幕末に開削され,丹波の木材や薪などを京都市内に運ぶ物流の大動脈として機能していました。舟入ができたことで千本三条周辺には材木問屋街が形成されました。【資料2・3】
水運は,明治32年(1899)の京都鉄道の開通やトラック輸送の発展などにより次第に衰退していきました。
その後,二条駅周辺の大規模な整地により,舟入は埋め立てられたと考えられています。【資料2・4】
平成16年(2004)に行われた調査では,南北長・約54m,幅・約8m,深さ・約2.5mの遺構が発掘されました。【資料3・4】
【資料1・4】には,発掘調査の際に撮影された遺構の写真が掲載されています。
- 回答プロセス
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●西高瀬川に関する資料を確認
『都市住宅 1974年10月号(第84号)』には,明治3年に千本四条付近に舟溜を造ったとあり。
●西高瀬川が木材の運搬に関わっていることから,京都の木材に関する資料を確認
千本三条の舟入に関する資料は見つからず。
●京都の歴史に関する資料を確認
『京都の歴史 7』には,千本四条付近の“船着問屋場”の記述や図あり。
●千本通に関する資料を確認・・・【資料1】
●オンラインデータベースで“千本三条 舟入”をキーワードに新聞記事を検索
「聞蔵Ⅱ」
『朝日新聞 平成12年(2000)4月15日』の“葛野郡朱雀野村字坊城 駒敏郎(タイムアングル)”が見つかる。
明治時代後期に撮影された西高瀬川と家屋の写真の説明はあるが,記事紙面の掲載はないため,当館所蔵マイクロフィルムを確認【資料2】
「G-Search」
『京都新聞 平成16年(2004)11月21日』の“西高瀬川の「舟入」遺構発見”が見つかる。
記事紙面は当館所蔵のCD-ROMで確認【資料3】
●【資料1・3】の情報をもとに,発掘調査報告書の所蔵を確認・・・【資料4】
条坊町を特定するため,現代の地図と条坊図が重ねてある『平安京図会』(「復元模型の巻」平安京復元図)と,条坊の数え方がわかる『平安京提要』(p104~105 図1,図2),『平安京百景』(p21 図43)を参考に確認し,“平安京右京三条一坊四町”とわかる。
●当館所蔵の明治時代の地図を確認
『新修京都叢書 第23巻 古地図集』所収「京都区分一覧之図」(明治9年)には,千本四条付近に“西高瀬舟入”の記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 河海工学.河川工学 (517)
- 日本 (291)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 【資料1】雑誌『創造する市民 2014夏号』(京都市生涯学習振興財団)p30「歩いて楽しむ1200年の京都―千本通の今昔を往く―」“⑳西高瀬川の舟入”
- 【資料2】マイクロフィルム『朝日新聞 平成12年(2000)4月15日』朝刊・京都 26面“葛野郡朱雀野村字坊城 駒敏郎(タイムアングル)”
- 【資料3】CD-ROM『京都新聞 平成16年(2004)11月21日』朝刊 1面“西高瀬川の「舟入」遺構発見”
- 【資料4】『平安京右京三条一坊四町跡』(京都市埋蔵文化財研究所 2005)
- キーワード
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- 西高瀬川
- 舟入
- 舟溜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000310730