レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年02月20日
- 登録日時
- 2017/03/30 14:13
- 更新日時
- 2017/03/31 13:10
- 管理番号
- 横浜市中央2480
- 質問
-
解決
明治35(1902)年1月22日付「読売新聞」朝刊5面に、日本郵船の信濃丸が本牧岬(ほんもくみさき)の
浅瀬に座礁したため、五大力船を廻して積荷を移し、万が一に備え伏木丸を派遣したという記事が掲載されています。
記事中の「五大力船(ごだいりきせん)」と「伏木丸(ふしきまる)」とはどのような船でしょうか。
- 回答
-
記事中には「五大力船」と「伏木丸」について、所有者等に関する情報がないため、各船を特定することは
できませんでした。
ただし、座礁した「信濃丸」は日本郵船所有の船であるため、どちらも日本郵船が所有していた船である
可能性が考えられます。本牧岬での事故ということも考慮し、今回の調査では横浜港における日本郵船所有の
船であると推定し、調査しました。
1 五大力船
(1) 船の構造・特徴
五大力船は関東周辺の小廻しの廻船として活躍した船です。船体の基本構造は
弁材船(べざいせん)系統の海船造りですが、川筋での使用も考慮された船型が
特徴であると各資料で解説されています。
ア『和船 2 ものと人間の文化史』 石井謙治/著 法政大学出版局 1995.07
p.168~171「五大力船」
なお、同内容は『海の日本史再発見 海の歴史選書』(石井謙治/著 日本海事広報協会
1987.5)のp.168~171「五大力船」にも掲載されています。
イ『図説和船史話 図説日本海事史話叢書』 石井謙治/著 至誠堂 1983.7
p.116~117「五大力」
p.204~208「11 五大力」
ウ『日本の船を復元する 古代から近世まで』石井謙治/執筆 安達裕之/執筆
石井謙治/監修 学習研究社 2002.12
p.100 「小廻船」
p.119 用語解説「五大力船」
エ『日本の船 和船編』安達裕之/編 船の科学館 1998.3
p.110「イサバ船と五大力船」
p.111(「図Ⅳ-43 五大力船」)とp.112(「図Ⅳ-44 横浜の元町堀川に荷を満載して
碇泊する五大力船」)に五大力船の図が掲載されています。
オ『船鑑』(写)1873
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286952
『日本の船 和船編』(p.111)に掲載されている図の出典です。
国立国会図書館のデジタルコレクションで公開されています。
(38~41/45コマ)に「五大力船」の図が二枚掲載されています。
(2) 艀(はしけ)としての五大力船
「艀(はしけ)」とは「河川・港湾などで大形船と陸との間を往復して貨物や乗客を運ぶ
小舟。(略)」(『大辞泉』小学館『大辞泉』編集部/編集 小学館 1995 p.2122)のことであり、
五大力船は艀としても使用されていました。
明治期の横浜港で日本郵船は119隻の艀を所有していました(オ参照)。そのため、事故で派遣
された五大力船は横浜港で艀として使用されていた可能性も考えられます。
当時の横浜港における艀及び五大力船に関する資料をご紹介します。
ア『川の町・横浜 ミナトを支えた水運』横浜開港資料館/編 横浜開港資料館 2007.1
p.12~15「マチを支えた水運」
五大力船の画(p.12)と艀に関する説明(p.13)があります。
イ『横浜港史 各論編』横浜港振興協会横浜港史刊行委員会/編 横浜市港湾局企画課 1989
p.541~543「2. はしけ業」
横浜港のはしけには、五大力船が含まれていたとされており、関東大震災によって多数の損失が
あったことが記載されています。
ウ『横浜港調査委員会参考資料 第1輯~3輯』 横浜港調査委員会/編 横浜港調査委員会 1923.7-8
第1輯 「横浜港ニ於ケル運漕艀舟」大正12(1923)年7月
p.4~8「第二節 横浜港ノ艀舟」
艀舟の種類として五大力船が挙げられており、日本郵船京浜艀係の専用船が214隻あったことに
ついて記載されています。(p.5)
同資料は国立国会図書館デジタルコレクションでも公開されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983916
エ『宇徳運輸百年史』 宇徳運輸社史編纂委員会/編 宇徳運輸 1991.12
p.10~11「明治時代の横浜港と艀回漕」
明治43年現在の横浜港の艀・曳船の状況として、五大力船が767隻とあります。
オ『日本郵船株式会社50年史』日本郵船株式会社/編 日本郵船 1935
p.315~317「第五節 京浜艀業務の譲渡」
明治期に日本郵船が119隻の艀を所有しており、関東大震災によって多数の損失があったことが
記載されています。
同資料は国立国会図書館デジタルコレクションでも公開されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1173463
カ『横浜市史 第4巻 下』 横浜市/編集 横浜市 1968.1
p.893~894「日本郵船艀人夫の争議」
明治30年における日本郵船の横浜・東京間の荷役は「社有艀116、雇艀94、計210隻によって
まかなわれ(略)」とあります(p.893~894)。
また、当時の艀のストライキによって、貨物の輸送に影響を及ぼしたことがが記載されて
おり、文中に「伏木丸」の名前も確認できます(p.894)。
2 伏木丸
日本郵船が当時所有していた「伏木丸」に関する資料をご紹介します。
(1)日本郵船の社史
日本郵船の社史に「伏木丸」について次の概要が掲載されています。
総トン数:1,919
建造年:明治18年4月
建造地:英国 ニューカッスル
主機関:二連成
備考:鉄船 明治20年9月回着 同43年2月25日売却
ア『日本郵船株式会社50年史』日本郵船株式会社/編 日本郵船 1935
1(2)オで紹介した資料です。
p.629~661「第二章 当社所有各船別要項」に「伏木丸」掲載あり(p.635)
イ『七十年史』日本郵船株式会社/編纂 日本郵船 1956.7
p.29「ニ 英国にて新造又は購入した船舶」の一覧に「伏木丸」掲載あり
巻末附録の「船舶」より「3 創業後の取得船舶」に「伏木丸」掲載あり(p.678)
ウ『七つの海で一世紀 日本郵船創業100周年記念船舶写真集』日本郵船株式会社総務部弘報室/編
日本郵船 1985.10
巻末の「取得船リスト(1)」より「創業後の取得船」に「伏木丸」掲載あり(p.286)
(2)所有船名簿・船名録
ア「日本郵船会社所有現在船舶」明治22(1889)年4月25日
国立公文書館デジタルアーカイブで公開されています。
http://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000001723552
東京都において調査した明治22年4月1日の登簿汽船一覧に「伏木丸」掲載あり
(3/4ページ ページ付なし)
イ「日本船名録」明治20-24年 逓信省管船局/編 帝国海事協会
国立国会図書館デジタルコレクションで公開されています。
巻頭の索引より、掲載箇所をご紹介します。なお、この資料では定繋場や尺度等の
詳細な情報も記載されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/901322
(ア)「船名録」明治22(1889)年4月1日
明治20年12月31日現在の登簿船名簿
p.63(159/357コマ)
(イ)「船名録」明治22(1889)年3月
明治20年12月31日現在の登簿船の名簿
p.63(159/357コマ)
(ウ)「船名録」明治23(1890)年3月
明治21年12月31日現在の登簿船の名簿
p.59(229/357コマ)
(エ)「船名録」明治24(1891)年3月
明治22年12月31日現在の登簿船の名簿
p.56(313/357コマ)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 各種の船舶.艦艇 (556 8版)
- 海運 (683 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000213558