レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年11月10日
- 登録日時
- 2012/03/12 15:44
- 更新日時
- 2012/05/31 16:34
- 管理番号
- 埼浦-2011-109
- 質問
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解決
芝川の辻村・上青木・下青木・元郷間(現川口市)に「水除堤」があったが、埼玉県内のそれ以外の地域で、「水除堤」があったのか知りたい。
- 回答
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下記の資料から幸手市の権現堂堤が「権現堂川通水除堤」と記されることも多かったことがわかった。また、領家村、十二月田村、樋爪村、川口町にあったことがわかった。
『幸手市史 通史編 1』
p358「第四編 近世前期の幸手 第二章 川と道の整備 第一節河川の改修と用悪水路の整備」
p360 「権現堂堤の成立」
「近世の権現堂堤は、八甫村から上宇和田村に至る五八九五間(約10.6キロメートル)の堤の通称で、史料では「権現堂川通水除堤」と記されることも多い。本書では、特に問題がない限り「権現堂堤」の名称で統一する。」とあり。
また、p655-701 近世前期(前述)・後期の各々の章に、権現堂堤を中心に堤の普請・修築・幕府の治水機構など、河川の利用と管理について、詳細な記述あり。
『新編武蔵風土記稿 [第4期]7 大日本地誌体系 13』
下記に「水除堤」または「水除けの堤」の記述あり。
p216領家村の古荒川
p218十二月田村の芝川
p218樋爪村の芝川
p224川口町の荒川
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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『幸手市史 通史編 1』(幸手市教育委員会 2002)
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『新編武蔵風土記稿 [第4期]7 大日本地誌体系 13』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996)
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『幸手市史 通史編 1』(幸手市教育委員会 2002)
- キーワード
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- 水除堤(ミズヨケヅツミ)
- 芝川
- 権現堂堤(ゴンゲンドウツツミ)
- 堤防-水利史-川口市
- 堤防-水利史-幸手市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000103484