レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年11月06日
- 登録日時
- 2012/03/12 14:21
- 更新日時
- 2012/05/31 18:45
- 管理番号
- 埼浦-2011-104
- 質問
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解決
平安時代から鎌倉時代にかけて鳩山町赤沼の窯跡で焼かれた瓦が、道筋・運搬方法など、どのように国分寺まで運ばれていったかを知りたい。
- 回答
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瓦が運ばれた道筋について、下記の資料を紹介した。運搬方法についての詳細な記述がある資料は見つからなかった。
『埼玉県史 2 奈良平安時代』
p261-262「国分寺献進瓦運搬通路」
「是等のものは皆人馬の労力に依って国府の近くに営まれた国分寺へ運搬せられたのであるから、各所に存する是等の瓦窯阯を連絡して国分寺に通ずる交通路の存在を認めねばならぬ。而して是等の各瓦窯阯と国分寺を連絡する通路は、後の平安時代、鎌倉時代を通じての武蔵国府と上野方面とを連絡する道路と為るもので、所謂鎌倉街道に一致して居る。」とあり。
『鎌倉街道上道 歴史の道調査報告書 1』
「鎌倉街道の性格と機能」
p107-109 古代においては東山道と呼ばれる官道があり、駅馬や伝馬の制度も確立しており、この国府への道が鎌倉街道の前身であり、武蔵国は東山道に所属していたが、武蔵国府へは迂回路になるため、「上野国府と武蔵国府とを直結する街道がはやくから開発されていた。この道は準官道的な存在であったが、交通量が比較的に多かったと考えられる。まず、国分寺瓦の輸送にこの道が利用されたことが挙げられる。(略)東京都国分寺市に建立された国分寺まで瓦や磚を輸送するには、陸路馬匹による以外には輸送手段がないので、この道路が利用されたことになる。」とあり。
p109 東山道については官道であるため、「十疋の駅馬が駅ごとに置かれ、伝馬は郡ごとに五疋用意された。」とあり。
『武蔵国分寺古瓦塼文字考 早稲田大学考古学研究室報告 5』
p54「まづ、交通路を考えてみると、埼玉県史第二巻四十二図(上記資料)の奈良時代交通路推定図によって、諸窯場の位置をみると、その多くが当国の西部丘陵の東麓を北上して上野国に通ずる貫線路上に点在していることがわかる。この通路は、後の平安・鎌倉時代を通じて武蔵国府と上野方面を連絡する重要な交通路で、所謂後世の鎌倉街道にほゞ一致するものであろう。この通路によって当国北部の各窯場から当寺へ瓦[セン]が運搬されたものと推考し得る。」とあり。
p55「瓦塼の運搬については、人担、車載、馬力などを考えることができる。しかし、奈良時代の瓦[セン]運搬に関する一般的記録が存しないので、延喜式木工寮の記載を参考とすれば、(略)」とあり。延喜式木工寮の記載には、瓦に関して人担の率・車載の数量が定められている。このことにより、筆者は運搬方法として「人担、車載、馬力など」をあげている。
『埼玉の考古学 2』
p531-546「古代武蔵国入間郡における交通と地域社会」
p545「入間郡南北の周辺域の状況は、高麗郡や国府造営拠点が東山道武蔵路を介して中央と直結していた。」
また、p522に南比企窯の流通方向についての記述があり、東山道についてふれている。
『古代東国の窯業生産の研究』
p462-477「地方窯とその流通」
東山道武蔵路を例にとった古代道における物流についての記述あり。
『日本の古代瓦窯』
p131「武蔵国分寺造営での造瓦は、郡が一つの責任集団であり、その下部の郷、さらに郷を構成する戸主といった行政組織にのって、戸主層より瓦の納入がなされた。しかし、実際には、国ごとの各瓦屋に瓦長から一括発注され、焼きあがった瓦は、郡、郷の責任で人坦輸送し、それぞれの瓦屋から寺へ搬入されたものであろう。」とあり。
p138 東大寺の例で、瓦屋から1500枚の瓦を30人で運搬するという内容の文書の紹介あり。
『中世東国史の中の鎌倉古道』
p48-49「国分寺瓦を運んだ道」
国分寺瓦に刻まれた地名に鎌倉街道の道筋にあたる場所があること、焼いた窯の所在地も鎌倉街道の道筋にあたるところが多いことの記述あり。
『武蔵古道ロマンの旅 さきたま双書』
p192-195「国分寺瓦を運んだ金子道」
「入間市鍵山で秩父から分れる仮称金子道を案内する。この道は国分寺の屋根瓦を運んだ道であろう。」とあり。
国分寺瓦を収蔵しており、瓦の展示も行っている「武蔵国分寺跡資料館」を紹介した。
- 回答プロセス
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その他調査済み資料。 該当の記述がなかったもの。
『武蔵国分寺の研究』(石村喜英著 明善堂書店 1960)
p377-383「瓦窯址の分布」
渡邊一「赤沼古代瓦窯跡群の成立過程に関する考察」(『埼玉史談〔新版〕 第45巻第3号 入間西部地域特集』p10-21 埼玉県郷土文化会 1998)
稲村坦元「武蔵国分寺瓦窯考」(『武蔵野史談 第1巻第2号』p2-4 埼玉県郷土文化会 1952)
『埼玉の窯業 瓦とうつわその生産と流通 資料館ガイドブック 9』(埼玉県立歴史資料館編 埼玉県立歴史資料館 1993)
『埼玉の古代窯業調査報告書 末野南比企窯跡群』(埼玉県立歴史資料館編 埼玉県立歴史資料館 1987)
『鳩山の遺跡・古代窯業 鳩山町史編さん調査報告書 10』(鳩山町教育委員会編 鳩山町 2007)
『鳩山町史 1 鳩山の歴史』(鳩山町史編集委員会編 鳩山町 2006)
p130-134「瓦生産の展開」
『国分寺瓦の研究 考古学からみた律令期生産組織の地方的展開』(梶原義実著 名古屋大学出版会 2010)
国分寺瓦を中心に全国の古代の造瓦組織について記述されているが、武蔵国については特になし。運搬についての言及なし。
『聖武天皇と国分寺 在地から見た関東国分寺の造営』(関東古瓦研究会編 雄山閣出版 1998)
武蔵国分寺の造営と地方豪族、瓦生産体制などに触れられているが、運搬についての言及はなし。
『歴史考古学の視角と実践 考古学選書 32』(坂詰秀一著 雄山閣出版 1990)
国分寺瓦についての記述はあるが、運搬についての記述なし。
『かわら日本史』(駒井鋼之助著 雄山閣出版 1972)
国分寺瓦についての記述はあるが、運搬についての記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 交通史.事情 (682 9版)
- セラミックス.窯業.珪酸塩化学工業 (573 9版)
- 参考資料
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『埼玉県史 2 奈良平安時代』(埼玉県 1931)
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『鎌倉街道上道 歴史の道調査報告書 1』(埼玉県立歴史資料館編 埼玉県教育委員会 1983)
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『武蔵国分寺古瓦塼文字考 早稲田大学考古学研究室報告 5』(大川清著 小宮山書店 1958)
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『埼玉の考古学 2』(埼玉考古学会編 六一書房 2006)
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『古代東国の窯業生産の研究』(渡辺一著 青木書店 2006)
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『日本の古代瓦窯』(大川清著 雄山閣出版 1972)
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『中世東国史の中の鎌倉古道』(蜂矢敬啓著 高文堂出版社 1997)
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『武蔵古道ロマンの旅 さきたま双書』(芳賀善次郎著 さきたま出版会 1984)
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『埼玉県史 2 奈良平安時代』(埼玉県 1931)
- キーワード
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- 国分寺瓦
- 東山道(トウサンドウ)
- 鎌倉街道
- 瓦
- 赤沼古代瓦窯跡群(アカヌマ コダイガワラ ヨウセキグン)
- 鳩山町-窯業
- 照会先
- 寄与者
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- 武蔵国分寺跡資料館
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000103475