レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/5/11
- 登録日時
- 2006/09/14 02:11
- 更新日時
- 2009/11/10 13:23
- 管理番号
- 埼熊‐2006‐021
- 質問
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解決
明治2年(1869年)に、熊谷で洪水により荒川の堤防が決壊した。その時、竹井澹如(タケイタンニョ)が私財を投じて堤防を築いた。後に「万平出し」と呼ばれるようになったこの堤防は、「長沼突堤」とも言われるようだが、それで良いか。
- 回答
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所蔵資料を調べた範囲では「万平出し」が「長沼突堤」とも呼ばれるという記述は見つからなかった。
- 回答プロセス
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〈万平出し〉〈長沼突堤〉〈竹井澹如〉〈荒川〉をキーワードに探索した。
『熊谷人物事典』の〈竹井澹如〉の記述によると、明治2年度々の出水のため荒川堤が決壊し被害が重なるので、竹井澹如(通称;万平)が自ら私費を投じて突堤を築き、洪水の害を防いだという。「万平出し」というのは、後の人が感謝してそう呼ぶようになったとのことである。
『熊谷市史』『埼玉ふるさと散歩 熊谷市』「竹井澹如翁を語る」(『埼玉史談 10巻2号』)『竹井澹如翁小伝』に関連記述が見られるが、いずれも万平出しという名称のみで、長沼突堤という名称は見受けられない。また、「熊谷宿物語」(『熊谷郷土文化会誌』1967.6)には、万平出し以外に「万平堤」「ヨコテイ」という名称が出ているが、やはり長沼突堤はなし。
「長沼」という記述があったのは『熊谷史話』のみで、p195に次のような一文がある。
「この出水の時熊谷地内では長沼の堤塘が決壊した。長沼と云ふのは今の萬平出しの直ぐ東で昔は一面に葭などが生えてゐた沼であったが、今日では水溜まりの跡さへなく綺麗な畑地になってゐる。」
上記から、長沼という地名を手がかりに『角川日本地名大辞典』『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』『熊谷の地名と旧跡』にあたったが、やはり長沼突堤という名称はなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 万平出し-堤防-熊谷市
- 竹井澹如(タケイ タンニョ)
- 荒川-河川-埼玉県
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000030599