レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年09月27日
- 登録日時
- 2023/02/01 11:46
- 更新日時
- 2023/02/07 15:56
- 管理番号
- 地-220007
- 質問
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解決
沼本ダムと城山ダム、そして県道515号の歴史について調べている。沿道にある城山ダムと沼本ダムの建設経緯、そして水没補償を記した詳しい資料を知りたい。
県道515号の事を書いた資料が無い場合は、単に沼本ダムと城山ダムの建設経緯、水没補償が書かれた詳しい資料を知りたい。
- 回答
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1.城山ダムの建設経緯と水没保障について
・『城山町史 7 通史編 近現代』城山町 1997
「第六章 戦後社会と現代の城山町」「第四節 城山ダムの建設」(pp.578-593)に、城山ダムの建設経緯や水没補償について記載がある。
pp.588-589に、『城山町広報』が昭和32年5月1日号で報じたものとして、城山町長が講ずることとなった策の一つに「中沢から三井を結び与瀬に通ずる道路計画」が挙げられている。このルートは、現在の神奈川県道515号線と一致すると思われる。
なお、『広報しろやま 縮刷版』を確認したところ、当該記事は昭和33年5月10日号に掲載されている。
・『ふるさとをあとに 城山ダム補償交渉から妥結まで』角田福徳著 三協出版社 1966
城山ダム補償の交渉から妥結までについて記されている。また、「個人補償要綱対照表」(pp.215-246)、「補償基準単価表及対照表」(pp.249-302)、「総合施策要綱対照表」(pp.305-319)が附表として掲載されている。
・『津久井町ダム史』津久井町 1986
「第3編 相模川総合開発事業」(pp.87-183)に、津久井ダムの建設経緯と水没補償について記載されている。
「第1章 城山ダム(津久井湖)」「第11節 公共補償の交渉経過」(pp.154-163)に、「総合開発実施計画書」が掲載されており、「交通計画」の表中に「道路計画」として「湖岸道路の開設(中略)三井~名手 2,800m」と記されている(p.159)。
・『城山ダム建設工事誌』神奈川県企業庁総合開発局 1967
城山ダムの建設工事について記されている。「第12章 補償工事」(pp.309-314)の「12.1 概要」に、水没した地域の中で補償工事の対象となったものとして、「県道3,297m」があったと記されている(p.309)。
2.沼本ダムの建設経緯と水没補償について
沼本ダムは相模ダムがその中核施設となった「相模川河水統制事業」によって作られている(参考:「相模川河水統制事業 - 神奈川県ホームページ」https://www.pref.kanagawa.jp/docs/vh6/cnt/f8018/jigyo_kasuitosei.html
2023年2月1日閲覧)。そのため、この事業について記されている資料を調査した。
・『相模川河水統制事業史』神奈川県 1952
「相模川河水統制事業」の経緯等が記されている。「第二編 建設時代」には、「第一章 建設地の買収と補償」(pp.35-55)が立項されている。
・『神奈川県企業庁史』神奈川県企業庁企画編集委員会編 神奈川県企業庁 1963
「第3編 総合開発事業」に「第2章 相模川河水統制事業」が立項されており、この事業の経緯や補償について述べられている(pp.386-472)。
・『相模川』神奈川新聞社 1978
「五、相模ダム」(pp.67-94)において、ダム建設の経緯や補償について記されている。
・『湖底への追憶 水没60周年記念』相模湖水没旧勝瀬地区居住者会 2007
「相模ダム完成までの歩み」(pp.51-86)に、ダム建設の経緯や補償について記されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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県道515号は津久井湖の北岸に沿って通っており、城山ダムと沼本ダムが関係していそうなのだが、インターネットにも載っておらず、相模原市、神奈川県、そして相模川水系ダム管理事務所に問い合わせても明確な事はわからなかった。
この道路は津久井湖の崖に幅1.7mという極めて狭い幅で建設されており、その上、2か所も崩落の危険性から現在 通行止めとなっている。
沼本ダム、もしくは城山ダム建設時の工事用道路、もしくは水没補償の際の代替道路として建設された可能性が高いのだが、その確証がない。
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 河海工学.河川工学 (517 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 沼本ダム
- 城山ダム
- 県道515号
- 水没補償
- 相模川河水統制事業
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000328302