レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/11/30
- 登録日時
- 2009/04/23 02:10
- 更新日時
- 2009/11/20 11:38
- 管理番号
- 埼浦-2008-067
- 質問
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解決
戦後、ジョンソン基地(現入間基地)の周辺にある磯野住宅(当時豊岡町、現入間市)で、赤痢が集団発生した。このときの赤痢発生状況が知りたい。また、防疫措置として、ジョンソン基地関係のどこかより磯野住宅へ給水したらしいが、このときの状況についても知りたい。
- 回答
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下記の資料により、昭和31年に赤痢が集団発生したことがわかった。また、磯野住宅内のジョンソン水道の消火栓2か所などから給水を行ったことがわかった。
『二十年の歩み』(埼玉県所沢保健所 1957)
p152-159「昭和31年9月豊岡町における赤痢集団発生の疫学的検討と防疫処置について」に、詳しい状況が掲載されている。
p156「防疫措置」の第3項によると、「豊岡町上水道を磯野住宅内に引込みを命じ9月4日夜より10ヶ所の臨時共同水栓により給水開始した。尚ジョンソン司令官と交渉の結果、磯野住宅内のジョンソン水道の消火栓2ヶよりも給水を行った。」とある。
p158-159には、この事件の各種統計表が掲載されている。
『入間市史 近代2 現代史料編』
p680-683「昭和40年12月 国立豊岡療養所年譜(抄)」のp682に、昭和31.8.30「豊岡町にて赤痢集団発生」とある。
『入間市史調査集録 7 豊岡町報道紙「とよおか」』
追加史料「とよおか 第62号」のp4に、「磯野地区集団赤痢発生について」という記事が掲載されている。
『埼玉新聞』の記事より
昭和31.9.2「25名が集団疫、赤痢一名死亡 豊岡 簡易水道の不備から?」
昭和31.9.4「発病者46名に達す 簡易水道の使用を禁止 豊岡町の集団赤痢」
昭和31.9.5「さらに17名 豊岡の集団赤痢」 合計63名となる
昭和31.9.8「被病者85名に 豊岡の集団赤痢」
昭和31.9.11「132名に達す 豊岡 磯野住宅の集団赤痢」
昭和31.9.12「感染経路の調査進む 豊岡町の集団赤痢」
昭和31.9.14「絵本など贈る 豊岡町議員が赤痢の子供へ」
※『入間市史調査報告書 2 新聞記事目録』p197より情報を得た。
- 回答プロセス
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入間市関係資料にあたった。『入間市史調査報告書 2 新聞記事目録』により、埼玉新聞に掲載された記事を確認することができた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 内科学 (493 9版)
- 戦争.戦略.戦術 (391 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『二十年の歩み』(埼玉県所沢保健所 1957)
- 『入間市史 近代2 現代史料編』
- 『入間市史調査集録 7 豊岡町報道紙「とよおか」』
- 『埼玉新聞』(回答欄参照)
- キーワード
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- 赤痢
- 磯野住宅
- ジョンソン基地-軍事基地-埼玉県-入間市
- アメリカ軍-占領地行政
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 定番事例-参考資料-埼玉新聞-解決
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000054093