レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/01/27
- 登録日時
- 2014/02/26 00:30
- 更新日時
- 2014/02/26 00:30
- 管理番号
- 参調 13-0080
- 質問
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解決
富山の薬売りが販売していた神薬のびんに【岩瀬売薬会社】とあった。富山の会社だとは思うが、実際どこにあったのか(所在地住所)、現在もあるのか、廃業しているのであればいつまであったのか。
- 回答
-
『富山県薬業史 資料集成 下 』巻末の索引を見たところ、「岩瀬売薬株式会社」あり。
記述を見たところ、
◆「明治四十一年度 売薬会社の状況」に
◎岩瀬売薬株式会社 岩瀬売薬株式会社は上新川郡東岩瀬町に在り、其四十一年度の売薬製造定価総額は六万参千六百四拾円五拾四銭にして、社長は佐藤興八郎なり
とあり(「富山県薬業史 資料集成 下」1126頁)
◆「昭和十六年十二月 富山統制売薬会社の創設決定」に
「高岡売薬(略)、岩瀬売薬(略)、昭和医薬研究所 等の十二法人、個人によって資本金百万円の富山統制売薬株式会社を創設…」
とあり。(「富山県薬業史 資料集成 下」1162頁)
この記述から、明治四十一年には存在しており、昭和十六年に他の会社と合併して富山統制売薬株式会社になったと思われる。
さらに、
◆「昭和十八年 家庭薬製造業者の統合状況」の表には、
「富山県統制製薬KK(改称)第一薬品工業KK」の「被合併製薬業者名」に「岩瀬売薬KK」の名前がある。(「富山県薬業史 資料集成 下」1166頁)
「富山市薬業史」の該当年相当の記述を確認。
152頁からの第三章「明治時代」第四節「売薬会社の発生とその内容」に掲載されている『明治時代に創立された売薬会社」に
○岩瀬売薬株式会社 明治三十八年四月上新川郡東岩瀬町に創立。(羽田貫一によって明治初年創立、初め文明堂と名づく)
と記述あり。
240頁からの第五章「昭和時代前期」第十節「戦時医薬品統制」によると、
「支那事変のぼっ発によって、軍が要求する医薬品の量は大きなものとなり、かつ資源が相当制限されてきたので、政府は昭和十三年から医薬品の配給・生産の統制を断行した。(中略)このような情況になったため、売薬の生産はみぞうな困難におちいり、富山の売薬会社および個人営業者は大合同を断行しなければならなくなった。(中略)富山県では次の十二社にまとめられた」
とのことで、昭和十六年の合併は戦時医薬品統制のためと思われる。
以上から、
岩瀬売薬株式会社は明治三十八年四月上新川郡東岩瀬町に創立(前身は羽田貫一によって明治初年創立された文明堂)。昭和十六年に他の会社と合併して「富山統制売薬株式会社」に、更に昭和十八年頃「第一薬品工業KK」に名称が変更された。
と思われる。
当館所蔵資料ではこれ以上詳しい住所、沿革などは確認できなかった。
さらに追加調査が必要な場合は、富山県立図書館など地元に調査協力を依頼することにする。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 薬学 (499 7版)
- 参考資料
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- 1 富山県薬業史 資料集成 上 富山県?編集 富山県 1983.5 499.5/TO/1
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2 富山県薬業史 資料集成 下 富山県?編集 富山県 1983.5 499.5/TO/2 -
3 富山市薬業史 村上清造∥著 富山市商工労働部薬業課 1975 499.5/MU
- キーワード
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- 富山
- 薬売り
- 神薬
- 岩瀬売薬株式会社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000149806