レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/10/16
- 登録日時
- 2013/12/02 00:30
- 更新日時
- 2013/12/04 09:47
- 管理番号
- 0000000102
- 質問
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解決
江戸時代の加賀藩において、罌粟や阿片に関する資料を探している。当時の栽培地・栽培方法・使用例などの事例、扱っていた商人や人物、藩の職制、あるいは事件や事故、禁令、賞罰など。
- 回答
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1.罌粟(芥子・けし)の栽培について
(1)加賀藩の産物政策についてまとめた資料に『近世産物政策史の研究』(田中喜男著 文献出版 1986)があります。同書を確認すると、以下のとおりです。
①加賀藩の郡奉行・改作奉行を勤めた高沢兵次右衛門忠順による「改作所旧記」収録の、元禄16年(1703)の有用植物分類に、罌粟は収録されていません。(p7)
②17世紀末加賀藩領内の農間余業(元禄4~7年)にも収録されていません。(p24)
③天保6年「新川郡薬種採掘諸村と薬種」という表にも罌粟についての記載はありません。(p295)
(2)『加越能三州産薬種』所収の、寛政5年9月「薬種類有無書上ケ申帳」(射水郡)には、
「一、ケシノヤニ 芥子ハ少々宛植置申者も御座候」とあります。
(3)元文三年加賀・能登・越中の産物を書上げた「郡方産物帳」を収録した『享保元文諸国産物帳 第1巻』には、
「口郡産物之帳」に「罌子粟けし」(p437)とあります。
(4)宝永4年石川郡の十村が執筆した「耕稼春秋」には、「田畠蒔植物之類」として、
「一、けしハ毎年実を、春二月半蒔。・・・・七月時分ハこき取、実を能干て渋紙を敷もみ取る也。けし春蒔てハ花にならす一重也。」(『耕稼春秋』p150)と、栽培・収穫の方法が記されています。
2.扱っていた商人や藩の職制など
『近世産物政策史の研究』には、「安政・慶応期の産物政策」には、「産物政策下の商品流通(2) 1薬種」(p294~304)という項目が設けられています。
同書に罌粟に関する記載は見えませんが、「薬種は、「人命ニ抱り申品」として貴重視され、文化期には「御国産薬種御縮方主付」として金沢城下町商人たばこや太兵衛を任命、また、「御国産業薬種買集所」を設置して砺波郡小杉新町稲積屋与右衛門・戸出村高島屋喜右衛門・井波村能美屋喜右衛門・福光村油屋長右衛門を縮役に命じ、能美郡・石川郡・河北郡・射水郡・砺波郡の薬種を集荷した。」に始まり、藩政後期の薬種に関する藩の制度がまとめられています。
3.事件や事故、禁令、賞罰など
「デジタル版石川県史」(https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/1700105100 確認日2013-10-16)
「東京大学史料編纂所近世編年データベース(『加賀藩史料』の検索 http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html 確認日2013-10-16)
を検索しても、罌粟(芥子・けし)にまつわる記事は見つかりません。
4.その他
(1)加賀藩の薬種については、『加賀藩の秘薬』という代表的な資料があり、ざっと目を通してみましたが、藩政期を扱った部分に罌粟(芥子・けし)にまつわる記事は見つかりません。
ただし、明治23年の「石川県における薬剤師の動態を調査した報告書」として「阿片売買薬舗 一二」という統計的数字は出てきます。(p287)
(2)『金沢市史 通史編2』には、「薬種商売と他国販売」などの項が収録されていますが、罌粟(芥子・けし)にまつわる記事は見つかりません。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 医学.薬学 (49 9版)
- 参考資料
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- 1 加越能三州産薬種 太田敬太郎写 K499/2
- 2 享保元文諸国産物帳 第1巻 盛永 俊太郎∥編 安田 健∥編 科学書院 1985.5 K602/33
- 3 耕稼春秋 土屋 又三郎∥著 堀尾 尚志∥校注・執筆 農山漁村文化協会 1984.11 K612/13
- 4 近世産物政策史の研究 田中 喜男∥著 文献出版 1986.5 K602/38
- 5 金沢市史 通史編2 金沢市史編さん委員会∥編集 金沢市 2005.12 K222/125/3-2
- キーワード
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- 麻薬
- 加賀藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000141465