レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/01/29
- 登録日時
- 2009/05/09 02:10
- 更新日時
- 2009/05/12 15:30
- 管理番号
- 埼浦-2008-081
- 質問
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解決
明治期、埼玉県に開院した県立病院について書かれた資料はあるか。
- 回答
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県立病院について記述のあった以下の資料を紹介した。
『埼玉県行政史 1』
p246「県は、同年〔明治12年〕8月23日、県立医学校を廃止するとともに、同日、県立病院(浦和)と県立分病院(熊谷)の設置を布達、翌9月19日に県立病院を、22日に分病院を、それぞれ開院した。」とある。
『埼玉県医師会史 第1部』
p37「明治9年開設した診療所は、12年12月規模を拡張して県立病院とし、同時に大里郡熊谷宿にも同病院分院を開設した。しかし、医学校の廃校により、明治14年6月、熊谷分院を廃止、ついで明治23年3月には浦和の本院も廃止されるに至ったのである。」とある。
『浦和市史 通史編3』
p330「医学校には、衛生局を設け、疾病の治療にあたった。同〔明治〕10年に、これは、診療所と改められた。」
p331「付属の病院は継続されて独立し、熊谷にも分院ができ、旧職員は、病院の職員として採用された。」とある。
『物語浦和市医師会史』
p81「明治12年まで埼玉県医学校は、一般外来患者の診療のみであったが、同年5月に生徒の臨床実習のため入院患者の病室が必要となり、平屋建1棟の病棟を新築した。(中略)12月に主務省の許可を得て県立病院として新発足することになった。病院長は医学校時代からの大野秋香院長がそのまま居残った。」
p83「明治23年3月県立病院も亦赤字累積のため廃止となったが、この時の院長は明治12年東大出の山村直次郎医学士で32歳であった。」とある。
『埼玉県医学校と日習堂蘭学塾』
p112-113に県立医学校の診療事業について記載あり。
- 回答プロセス
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埼玉県の行政史資料、医師会史資料、所在していた自治体の市史を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 医学 (490 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉県行政史 1』(埼玉県 1989)
- 『埼玉県医師会史 第1部』(埼玉県医師会 1967)
- 『浦和市史 通史編3』(浦和市 1990)
- 『物語浦和市医師会史』(浦和市医師会誌編纂委員会 浦和市医師会 1971)
- 『埼玉県医学校と日習堂蘭学塾』(仲田一信 浦和市尾間木史蹟保存会 1971)
- キーワード
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- 病院-埼玉県-歴史
- 県立病院
- 熊谷市-浦和市(さいたま市)-埼玉県
- 郷土資料
- 地方行政-歴史-埼玉県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000054563