レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年02月14日
- 登録日時
- 2023/02/14 11:54
- 更新日時
- 2023/02/14 15:28
- 管理番号
- 阿南市-2023-7
- 質問
-
解決
徳島藩主の蜂須賀家に「光林院」という人物がいるか。また佐田神社のだらだらまつりと関係があるのか。
阿南市椿泊に森水軍の功績を称え海の安全を祈願する佐田神社があり、祭礼「だらだらまつり」は当初8月13日であったが、その日が蜂須賀何某の姉である光林院の命日であったため日を変えたというエピソードを本で読んだことがある。
- 回答
-
「光林院」正しくは「高林院」。
佐田神社は徳島藩主蜂須賀家に仕え海上守護に当たった森家(森水軍)が鳴門の土佐泊城主の時、当地に佐田大明神を奉斎し、9月8日を祭日としていた。のち椿泊領主となり佐田大明神を佐田神社として現在地に遷宮した。蜂須賀五代綱道の養妹・高林院が延宝六年(1678)9月8日に卒去したので、森家は綱道公に憚りて祭礼日を変えるに当たり、佐田大明神を遷宮した8月13日をその後の祭日と定めた。
現在の佐田神社の「だらだらまつり」は9月13日から数日続き、神輿の海中渡御は大漁旗で飾った多くの漁船がお供し壮観である。かつては長期間におよびダラダラ祭りと呼ばれた。
- 回答プロセス
-
➀光林院について『阿波人物志』『徳島歴史人物鑑』等の歴史人物辞典で検索したが確認できず。
➁佐田神社の祭礼「だらだらまつり」について『阿波の神々と祭り(3)』『阿波の祭礼と神事』より、祭礼日が9月13日であることや由緒を確認できたが、祭礼日が変更された事については書かれていない。
③『椿村史』第二編下「神社」に佐田神社について書かれている。享保四年に森甚太夫芳純の著した「古伝記」を典拠として書かれたもので、蜂須賀五代綱道公の養妹高林院の名と祭礼日を変えた理由がわかる。
④『蜂須賀家記』より蜂須賀家の系譜を確認。綱道の父、光隆の女子として高林院の名があり、延宝六年九月八日に海禅寺に葬られたとある。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 年中行事.祭礼 (386)
- 個人伝記 (289)
- 参考資料
-
- 『阿波の神々と祭り(3)』岡島隆夫編著 2000年
- 『椿村史-復刻版-』田所市太著 1940
- 『蜂須賀記』岡田鴨里編 東洋社 (徳島県立図書館所蔵資料)
- キーワード
-
- 光林院
- 佐田神社
- だらだらまつり
- 蜂須賀綱道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 佐田神社のだらだら祭りについては『徳島地域文化研究 第七号』徳島地域文化研究会発行に「調査報告 阿南市椿泊町・佐田神社祭礼」高橋晋一著に詳しい。
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000328953