レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/08/10
- 登録日時
- 2007/12/01 02:12
- 更新日時
- 2009/10/30 11:07
- 管理番号
- 埼熊-2007-062
- 質問
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未解決
明治初期の熊谷県(埼玉県の前身)で蚕種業組合頭取をしていた笹井万太郎についての文献を見たい。写真か肖像画の所蔵がわからないか。
- 回答
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写真や肖像画は見つからず。 笹井万太郎について記述のあった文献は以下のとおり。
①『横浜港史 各論編』(横浜港湾局発行 1998)
横浜港築港を万太郎が請負った記述あり。ただし請負形態など不明な点が多いとのこと。典拠は「神奈川県史 資料編10」(県立図未所蔵)。
②『図説横浜の歴史』(横浜市市民局市民情報室広報センター発行 1989)
19「開港場建設と地方名主」(阿部征寛)に数行の記述あり。関連資料は斉藤信夫家蔵「刑部鉄太郎より堀口伝兵衛あて書簡」(書簡の写真あり)。
③雑誌『横浜開港資料館紀要 8号』(横浜開港資料館 1990)
「斎藤信夫氏所蔵 堀口貞明関係文書」(阿部征寛)に②の書簡の活字版の掲載あり。解題の中に「波戸場築立の請負は大久保淡路守知行所榛沢郡高島村名主万太郎」と記述あり。
④『幕末の農民群像』(横浜開港資料館発行 1988)
「幕末期の名主の動向」(阿部征寛)に笹井万太郎の墓誌銘の転載記述あり。「開国・開港思想に共鳴、江戸に遊学・・・」と、万太郎の父に影響を受けたことや筆者の万太郎像が記述されているが、未解決な「ハードル」が沢山あるとのこと。
⑤『横浜港史序説』(千須和富士夫 日本港湾経済学会年報 1980年10月号抜刷)(日本港湾経済学会発行 1980)
p77の引用文中に名がみられる。「安政6年4月11日 外国奉行上申書 老中へ神奈川表普請入用の件」「幕末外国関係文書 巻23(25)」。内容は、横浜港工事請負入札、落札額等に関するもの。上記資料①②③と元資料は同じものについての記述。
p78に笹井万太郎に関する簡単な解説と、思想についての記述あり。開港場の土木請負人に笹井万太郎が出現した背景として同郷の先覚者「荒木翆軒」に教化されたことについて触れている。
参考:荒木翆軒は『埼玉県史 7 近代』(埼玉県 1939)p629-630 私塾を設けて子弟を教えたとあるが万太郎との関係は不明。『埼玉県人物誌 下』(埼玉県立文化会館)より、開港論者であり、利根川治水工事に功あった人物。
⑥『埼玉苗字辞典 2』(茂木和平 2006)
p3647「笹井 榛沢郡高島村(深谷市)」の項に記述あり。「横浜港埠頭は笹井万太郎が造成し、当村の地名を付ける。」
⑦『新編埼玉県史 資料編21 近代・現代3 産業・経済1』
付録 「最上農名簿 明治18年」(埼玉県行政文書 明546:埼玉県立文書館収蔵)よりp10「中瀬村聯合 高島村」に「笠井」万太郎あり。土地の所有反数(耕宅地・山林)あり。
その他 深谷市史関係や埼玉県関係人名辞典や蚕業関係資料を確認したが見つからず。元横浜開港資料館職員 故阿部征寛氏がこの分野を研究していたので横浜開港資料館を紹介する。
- 回答プロセス
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《Yahoo!JAPAN》を〈笹井万太郎〉で検索する。「横浜港史」の引用あり。
横浜開港関係の資料から探索する。
同一内容の文献は見つかるが、それ以上の資料は見つからなかった。
この分野の研究をしていた横浜開港資料館をあわせて紹介する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 企業.経営 (335 9版)
- 蚕糸経済.行政.経営 (631 9版)
- 参考資料
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- 『横浜港史 各論編』(横浜港湾局)
- 『図説横浜の歴史』(横浜市市民局市民情報室広報センター)
- 『横浜開港資料館紀要 8号』(横浜開港資料館)
- 『幕末の農民群像』(横浜開港資料館)
- 『横浜港史序説』(千須和富士夫 日本港湾経済学会年報1980年10月抜刷 日本港湾経済学会)
- 『埼玉苗字辞典 2』(茂木和平 2006)
- 『新編埼玉県史 資料編21 近代・現代3 産業・経済1』
- キーワード
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- 笹井 万太郎(ササイ マンタロウ)
- 熊谷県-埼玉県-歴史-明治時代
- 蚕糸業組合
- 実業家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000039901