レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年09月12日
- 登録日時
- 2022/10/06 13:38
- 更新日時
- 2023/02/21 17:13
- 管理番号
- 武蔵浦和-1-00160
- 質問
-
解決
浦和市・大宮市・熊谷市の疎開状況、疎開数、疎開先での生活環境を調べている。
大まかな内容は『埼玉県史』『浦和市史』などでつかめたが、詳しい数字や、該当の参考文献が見つからない。
おすすめの文献等があれば教えてほしい。
- 回答
-
・各市全体的で具体的な数字が記載されている資料は見つからなかった。
・部分的な数字や、疎開の様子が記載された資料について、回答プロセス中の○と△を提供した。
- 回答プロセス
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・さいたま市図書館の蔵書検索システムで“疎開”&“サイタマ”で検索。
△『空襲と疎開』埼玉県平和資料館 2010
→埼玉県平和資料館の企画展の資料。なので、数字や文献等は無し。
p24~「埼玉県での学童疎開」 飯能市・東松山市・滑川町で東京からの学童疎開を受け入れていた記述がある。
△『学舎の子どもたち』埼玉県平和資料館 1994
→上記資料と同じ、埼玉県平和資料館企画展の資料。
p25~「学童疎開」学童の描いた絵や習字の作品等、ほぼ写真。
×『昭和前期の子どもたちと戦争』埼玉県平和資料館 2004
→こちらも、埼玉県平和資料館企画展の資料。疎開についての記述p6のみ。
△『戦時下の子供たち』埼玉県平和資料館 2016
→こちらも、埼玉県平和資料館企画展の資料。疎開についての記述p28-29のみ
×『埼玉県教育史 第4巻』埼玉県教育委員会/編集 埼玉県教育委員会 1971
△『埼玉県教育史 第5巻』埼玉県教育委員会/編集 埼玉県教育委員会 1972
→ p292-299 (付)学童疎開の受け入れ
p293 疎開入学児童調(現在数、熊谷市行政文書)
昭和20年1月以降熊谷市内の国民学校における疎開学童の増加の実態を
表にまとめたもの。
p297-299 四、集団疎開学童の生活
・埼玉県立図書館ホームページ内「埼玉県関係データベース」で“集団疎開”と検索。
△『新編埼玉県史 図録』埼玉県/編集 埼玉県 1993
p272-273 6章 疎開者の流入と学童集団疎開
→ 図「疎開等による戦争末期の人口増加」
図「学童集団疎開の受入れ状況」
△『埼玉県行政史 第2巻』埼玉県/編集 埼玉県 1990
p932-937 第5節 2(2)疎開者の受入れと強制疎開の実施
→ 疎開の受入や生活についての記述あり。
△『新編埼玉県史 資料編26 近代・現代8』埼玉県/編集 埼玉県 1990
p172~ 第四章 二 3 集団疎開学童の受入
p178~ 学童集団疎開の実態
p178-186 疎開教育の設備と食事、慰安、衛生、学級編成等についての記述あり。
・「レファレンス協同データベース」で“集団疎開”と検索。
さいたま市中央図書館の事例から
△『学童疎開の記録1 学童疎開の研究』全国疎開学童連絡協議会/編 大空社 1994
p63~に「集団疎開の人数と疎開先」という記述あり。
とのとのことだが、冒頭文に「学童集団疎開の総数は約五十八万人以上と推計されるが、
この人数が公的に発表された資料はないし、又、各都府県の数字を集計した人もいない。
何故ならば(略) との記載あり。
県立久喜図書館の事例から
△『新編埼玉県史 通史編6』埼玉県/編集 埼玉県 1989
p1055 集団疎開の受入状況として受入施設、疎開国民学校、人数、疎開期間の記録あり。
・『浦和市史』と『大宮市史』の近代史のあたりで“疎開”を探してみる。
○『浦和市史 通史編3』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1990
p754-757 疎開者受け入れと市内の強制疎開
p755 表159 土合村への疎開者数
(「土合村役場文書」大正昭和史料838-4より作成)
○『浦和市史 第4巻[2] 近代史料編2』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1979
p649 11 疎開転入者報告書
△『浦和市史 第4巻[4] 近代史料編4』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1981
「厚沢八郎日記」に、誰の家に疎開した○人が~という記述はいくつかある。
p662下段 神田区の戦災者六名が疎開してくるといふので。
p726下段 三宿の武笠美一郎氏が近処の疎開者二人(内一人は八十二才の老翁)を伴う
て来訪。茶一杯。鷺山へ案内する。
〇『大宮市史 第4巻』大宮市役所 1982
p422 第74表 昭和20年馬宮村の東京都罹災者受入数【別紙3】
p1045-1048 戦時教育体制の進行と疎開児童の受入【別紙4】
・国立国会図書館の「目次データベース」で検索。
“浦和市&疎開”→3件ヒット
△『さいたま市の歴史と文化を知る本』青木義脩/著 さきたま出版会 2014
p188-189 空襲と戦時体制下の市域
p189上段
東京からの学童疎開は、旧大宮市や、岩槻市の寺院で受け入れた。(略)
高城寺はは日本橋区の坂本国民学校から一九〇名が疎開している。(略)
集団疎開でなく、京浜地区他からの疎開者受け入れも土合地区では一二六
人という。(略)
浦和でも昭和二〇年七月に疎開命令が出た。六一戸は市域内、他は他県に
縁故疎開をした(『浦和市史』)。
“大宮市&疎開”→2件ヒット
×『目で見る大宮の100年』吉本富男/監修 郷土出版社 2009
p68 学童疎開の受け入れ があるらしい。
“浦和&疎開”→17件ヒットするが、上に出たもの以外は合いそうなものは無し。
“大宮&疎開”→52件ヒットするが、合いそうなものは無し。
“熊谷&疎開”→52件ヒットするが、合いそうなものは無し。
・目次データベースを検索していると、『新聞集成昭和編年史』がヒットするので、
朝日新聞のデータベースクロスサーチで検索。
・朝日新聞クロスサーチで検索
~1999新聞縮刷版でキーワード検索
“集団疎開&浦和”→0件
“集団疎開&大宮”→0件
“集団疎開&埼玉”→5件ヒットするが、合う内容の記事はない。
“集団疎開”→201件 時間をかけて見ていけば、質問に合うものがあるかもしれない。
・R210.03『国史大辞典 3』国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1983
p194 4段目~ 学童疎開 の項目
埼玉に関する記載はないが、参考文献に上がっているものの所蔵を検索してみる。
『浮雲教室:学童集団疎開の記録』黒潮社 1956 で埼玉大学にのみあり。
『学童疎開の記録』塩野入万作編著 青い鳥社 1971 …市内なし。県内なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 教育史.事情 (372 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 疎開
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000322331