レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/12/05
- 登録日時
- 2008/07/04 02:11
- 更新日時
- 2008/08/08 15:07
- 管理番号
- 埼熊-2007-109
- 質問
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未解決
昭和38年(1963)頃、高田の水稲荷(みずいなり)の塚を移転した際、工事にあたった現場の職人や早稲田大学の教授が死亡した「日本のツタンカーメン」というような記事が雑誌(ゴシップ誌)に載った記憶がある。その雑誌名が分かれば教えてほしい。キーワードは〈高田富士〉〈早稲田大学〉〈水稲荷〉。
- 回答
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該当する雑誌は判明せず。
〈昭和39年隣接する早稲田大学が水稲荷社地を買収し、新校舎を構築するために高田富士を取り壊した〉ことは下記資料で確認できるが、関係者の死亡記事に関する記述は見つからなかった。
以下、参考になる資料を紹介する。
①『早稲田大学百年史 総索引年表』(早稲田大学出版部 1977)
「索引」に〈水稲荷神社〉第1・5巻とあり、「年表」p310に「昭和38年4.13に水稲荷神社所有地2064坪登記完 了」との記述がある。
②『早稲田大学百年史 1』
p423-424〈早稲田の社〉に「高田富士で有名な水稲荷から戸塚にかけて・・・」とあるが、該当記述は掲載なし。
③『早稲田大学百年史 5』
p196-209「創立80周年記念事業と本部キャンパスの整備」の項
p200-209に、昭和42年11月9日法商研究室棟が水稲荷神社跡地に着工とあり、また〈水稲荷神社と甘泉園 土地交換に関する件〉は水稲荷神社の氏子間に誤解を与えるなどの問題が生じた・・とあるが、該当記事に関す る記述なし。
④『富士講の歴史 江戸庶民の山岳信仰』(岩科小一郎 名著出版 1973)
p268-273「富士塚」の項。「昭和39年隣接する早稲田大学が水稲荷社地を買収し、新校舎を構築するために 高田富士を取り壊し藤四郎の墓も移され・・・ 富士塚第1号は姿を消した・・・」と記述ある。
⑤雑誌『富士山文化研究(富士信仰研究) 第6号(2005.7.16)』
p76-91「鳩ヶ谷宛 岩科小一郎先生書幹再読翰 その4」が収録されているが、該当記述なし。
⑥雑誌『歴史と旅 200.3.10増刊』
p311に富士塚に関する記述があるが、該当記事はない。
⑦『評釈江戸文学叢書 8 洒落本草双紙集』(講談社)
高田富士造成の様子が描かれているが、関係記述はなし。
- 回答プロセス
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質問者からのキーワード〈高田冨士〉〈早稲田大学〉〈水稲荷〉で資料を調べるが、雑誌記事に関する記述は見つからず。
『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』等を探すが、該当記事は見つからなかった。《MAGAZINEPLUS》でいくつかヒットするが該当記事ではない。
早稲田大学の資料で、移転についての経緯は確認できたが、質問に関する記述は見あたらない。
その他、事件史や因縁、たたりなどに関する資料を探索するが、記事は見つからない。
なおインターネット情報に以下のようにあるが、資料による裏付けはできなかった。
《富士講アーカイブ》
「研究家の岩科小一郎氏は、移転後建った早稲田大学校舎を使う商学部の先生や神社・工事の関係者が相次いで死んだ・・・」
《高田富士》のWebサイト
「昭和39年、早大が水稲荷社の土地を買収し、新校舎建設のために由緒あるこの塚を破却し現在の地に移した。独断で売却を決めた宮司はその直後病を得て亡くなった」と記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 民間信仰.迷信[俗信] (387 9版)
- 神社.神職 (175 9版)
- 特種目録 (027 9版)
- 参考資料
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- 『早稲田大学百年史 総索引年表』(早稲田大学出版部 1977)
- 『早稲田大学百年史 1』
- 『早稲田大学百年史 5』
- 『富士講の歴史 江戸庶民の山岳信仰』(岩科小一郎 名著出版)
- 『富士山文化研究(富士信仰研究) 第6号 (2005.7.16)』
- 『歴史と旅 200.3.10増刊』(秋田書店)
- 『評釈江戸文学叢書 8 洒落本草双紙集』(講談社)
- キーワード
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- 山岳崇拝-冨士講
- 神社-稲荷神社
- 雑誌記事索引
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- その他
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000045518