レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20080829
- 登録日時
- 2013/10/12 00:30
- 更新日時
- 2017/02/09 13:56
- 管理番号
- 広県図20120103
- 質問
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解決
斎藤鹿三郎について知りたい。福島県出身で,1904年から広島高等女学校校長を務めた。(『教育人名辞典』)同校には1928年まで在職し,その後1931年まで広島女子専門学校校長を務め,1946年没。(『広島女子短期大学沿革史』『広島女子大学創立六十周年記念誌』)このほかに斎藤鹿三郎について書かれている資料があるか。
- 回答
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次の資料に関係の記述がある。
『皆実有朋 七十周年記念誌』70周年記念誌編集委員会/編,広島県立広島皆実高等学校,1971
p.20~22 〔新しい伝統の創造〕「斉藤校長は明治三七年(一九〇四)から,昭和三年(一九二八)新設の広島女子専門学校長に転任するまで・・」との書き出しで,創立20周年記念の校長式辞から引用の教育方針などの記述あり。
p.22~26 〔講堂修身・親切・辛抱〕「斉藤校長は吉田松蔭とその母堂,乃木希典大将夫妻を理想とし,極端なほどの良妻賢母の教育を行った。月に一度は校長が全校生徒を講堂に集め,修身講話を行った。その一端を記すと・・」とあり,続いて校友会誌に掲載された生徒の文章が掲載されている。 p.26~27 〔明治から大正へ〕 校長についての記述はなし。
p.28~29 〔寄宿舎生活〕 校長についての記述はなし。
p.30~32 〔大正から昭和へ〕
p.32 今上天皇の行啓を出迎えた記述の中に「斉藤校長」とあるのみ。
p.33 「昭和三年(一九二八)三月,二四年間本校校長として学校の基礎をつくりあげた斉藤鹿三郎校長は,広島女子専門学校校長として転出し,代って県教育主事梅林寺勝三が第三代校長に任ぜられた。」
『皆実有朋 八十周年記念誌』八〇周年記念誌編集委員会/編,広島県立広島皆実高等学校,1982
p.28~38 〔第一節 本校教育の発展〕
p.28 〔広瀬校長の休職と斎藤校長の着任〕
p.31~32 〔斎藤校長の教育方針〕
p.38~46 〔第二節 基礎かたまる県女〕
p.39~40 〔講堂修身〕「斎藤校長は毎月一回月はじめの月曜日の朝,講堂に全生徒を集めて合同の朝礼を行っている。」
p.40~42 〔体育活動の奨励〕「斎藤校長は校長就任以来,生徒の体格向上についてとくに意を用い,常に体育活動を奨励してきた。」
p.46 〔父兄懇話会の発展〕「・・父兄懇話会は,その後も毎年一回十一月に開かれており,学校と家庭の連絡に大きな成果をあげており,斎藤校長もこれを継続していた。」
p.46~57 〔第三節 はばたく生徒たち〕 行事記録の中に「斎藤校長」の名がある程度。
p.57~66 〔第四節 思い出深い学校生活〕 行事記録の中に「斎藤校長」の名がある程度。
p.68 「一九二八(昭和三)年,斎藤鹿三郎校長は,本校専攻科が昇格して新設された広島女子専門学校の校長に転出し,梅林寺勝三教育主事が第三代校長として着任した。」
『悠久のまこと 皆実有朋九十年史』九〇周年記念誌編集委員会/編,広島県立広島皆実高等学校,1991
※ 写真主体の資料
p.34~35 「斎藤校長は,福島県の出身で東京女子師範学校の教授であった。彼は,地理学に精通して三四才の若い校長であった。」「斎藤校長は,毎月一回第一月曜日の朝,講堂修身と称し朝礼を行った。」などの記述の他,斎藤校長の書や著書,講堂修身の様子の写真等が掲載されている。
p.36~37「斎藤校長は,健康な体をつくり心を鍛えることを奨励した。その一環として一九一三(大正二)年雨天体操場を新設し,体操服を制定した。(中国地方初)」
『皆実有朋:六十周年記念誌』広島県広島皆実高等学校/編,1961
p.17~19 旧校長 故斎藤鹿三郎「創立時代 昔の思い出」※ 県立広島高等女学校の校長在任時を回想した文章が掲載されている。なお,原文は,『有朋 創刊号』(広島県立広島高等女学校有朋会/編,1935【H37.1/H738-2/1】)のp.2~5に,同文章が掲載されている。
『有朋会誌 第7号』有朋会/編,1915
巻頭(頁付けなし,4頁分あり) 会長 齋藤鹿三郎「忠孝」※ 会長としての説話が掲載されている。
『新修広島市史 第4巻』広島市/編集・発行,1958
※ 詳しくはないが,斎藤氏の名前が3箇所出ている。
p.399 「明治三十五年一月広島県立高等女学校が下中町に設けられたことが注目される。(中略)その特異な校風を確立したのは二代校長斉藤鹿三郎であった。「良妻賢母」・「親切辛棒」などを校訓としたが・・・」
p.427 「広島女子専門学校が昭和三年(一九二八)三月下中町に創立されたことである。(中略)初代校長には広島県立広島高等女学校長斉藤鹿三郎が任ぜられ,鋭意施設の改善にあたった。」
p.570 「競泳のレベルの向上とともに水泳一般の普及も著しくなった。(中略)また広島県立高等女学校でも二代目校長斎藤鹿三郎の方針に基づき,右におくれぬ頃(※文中から明治三十八年七月頃〔回答者補記〕)元安川畔において希望者に水泳練習を行わせていた」
※ p.399とp.427は「斉藤」,p.570は「斎藤」と記述あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 教育 (370)
- 参考資料
- キーワード
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- 斎藤鹿三郎
- 広島高等女学校
- 広島女子専門学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000138275