レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 横浜市中央図書館 (2210008) | 管理番号 (Control number) | 横浜市中央2546 | |||||
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事例作成日 (Creation date) | 2017年03月24日 | 登録日時 (Registration date) | 2019年02月27日 14時39分 | 更新日時 (Last update) | 2019年03月01日 11時38分 | |||
質問 (Question) | 桜木町駅付近を流れていて、埋立によってなくなってしまった 桜川について調べたいと思っています。 桜川の歴史や埋立の経緯についてわかる資料を教えてください。 写真もあれば見たいです。 | |||||||
回答 (Answer) | 桜川の歴史や、埋立の経緯がわかる資料、 写真が掲載されている資料についてそれぞれご紹介します。 1 桜川の歴史がわかる資料について 桜川は、明治三年ごろに工事されて川ができ、舟運の便として使用されていたようです。 (1)『横浜市史稿 地理編』 横浜市役所/著 横浜市役所 1932.12 p649に 「櫻川は大岡川の支流で、明治三年に、櫻木町の埋立ての際、 川敷の箇所のみを埋殘して、更に之に浚渫工事を加え、船便を通じたものが、 明治五年五月に、櫻川と命名され(以下略)」という記載があります。 (2)『横浜沿革誌』 太田久好/編 有隣堂 1970 p78の明治二年の項に「三月、真砂町京屋(内田)清七請負ひにて、 吉田橋北詰より野毛浦海面石崎迄埋立に着手す、 (明治四年に落成す、更に野毛浦埋立の内、大岡川に接し、西は石崎迄掘割を為す、 桜木川是なり)」、 p94の明治五年の項に「同月、桜木町の川に桜木川の名称を付す」 という記述もあり、桜木川と呼ばれていたこともあるようです。 (3)『横浜・中区史 人びとが語る激動の歴史』 中区制50周年記念事業実行委員会/編著 中区制50周年記念事業実行委員会 1985.2 p507~508に、「川はばが広げられ、川からの物資の積み下降しの便利のため、 川の護岸の肩をけずって堀川、中村川などと同じように物揚場が設けられた。」 という記述があります。 (4)「横浜市大岡川・中村川下流域における運河の発展と衰退」 田邉 徳子、古谷 勝則 (『ランドスケープ研究 77(5)』 2014 公益社団法人日本造園学会) p387-392 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila/77/5/77_387/_pdf この記事に、桜川の始まりから埋立のことまで書かれており、引用文献も参考になります。 2 埋立の経緯がわかる資料について (1)「桜木町デパート根岸線高架下移転案」 百瀬敏夫 (『市史通信 第22号』 2015年3月31日 横浜市史資料室) p7-9 http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/gyosei/sisi/pdf/22-mo.pdf この記事に、埋立が始まった大まかな経緯が書かれています。 (2)聞蔵IIビジュアル(朝日新聞オンライン記事データベース)、 ヨミダス歴史館(朝日新聞オンライン記事データベース)で、 「桜川」「埋立」「桜川新道」等のキーワードで検索しました。 鉄道庁が横濱停車場拡張のために国道を変更し、 桜川を埋立てて構内を広げることを横浜市に提案してきたことから議論が始まり、 その後、横浜市復興計画による市内幹線道路の第一期工事として埋立が始まったようです。 同時期の横浜市中央図書館所蔵の神奈川新聞のマイクロフィルムをご覧いただくと 詳細な情報が見つかるかもしれません。 ア 「横浜停車場拡張問題」(「朝日新聞」1908年3月20日 東京 朝刊 p.4) イ 「横浜停車場拡張問題」(「朝日新聞」1908年3月21日 東京 朝刊 p.4) ウ 「桜川埋立と横浜市会」(「朝日新聞」1908年3月21日 東京 朝刊 p.4) エ 「桜川埋立問題確定」(「朝日新聞」1908年3月21日 東京 朝刊 p.4) オ 「桜川開鑿案」(「朝日新聞」1913年12月5日 東京 朝刊 p.4) カ 「桜川埋立始まる 横浜幹線道路工事」(「読売新聞」1948年3月11日 神奈川 朝刊 p.2) キ 「カストリ 横丁へ近く工事の手」(「読売新聞」1951年2月18日 神奈川 朝刊 p.2) ク 「カストリ横丁の移転 桜川埋立進捗 8月までに強制措置/横浜市」 (「読売新聞」1951年4月19日 神奈川 朝刊 p.4) ケ 「これではたまらぬ 進まぬ桜川埋立工事 ごみの山に臭気ぷんぷん」 (「読売新聞」1952年4月17日 神奈川 朝刊 p.4) コ 「立ち上がったバラック住民 住宅建築に積み立て 移転促進生協会作る/横浜市」 (「読売新聞」1954年6月19日 神奈川 朝刊 p.8) サ 「4年ぶり移転交渉再開へ 桜木町デパート 地下鉄建設控え 補償問題に市は頭痛」 (「読売新聞」1969年4月6日 神奈川 朝刊 p.16) シ 「桜木町デパート 8年半ぶり立ちのきへ 地下鉄、高速道路に 1億超す?補償金」 (「読売新聞」1970年10月28日 神奈川 朝刊 p.12) ス 「「桜木町デパート」の移転 強制収用の動きも 一部商店なお拒否/横浜市」 (「読売新聞」1971年10月12日 神奈川 朝刊 p.12) セ 「[ヨコハマ今昔30年]=上 桜木町・関内付近 JR桜木町駅前(連載)」 (「読売新聞」1987年9月13日 神奈川 朝刊 p.19) *埋立前後の桜川の写真が掲載されています。 (3)横浜市会でも議論されていますので、会議録をご紹介します。 明治42年~昭和4年までの横浜市会の会議録は、 「横浜市会速記録」のマイクロフィルムでご確認いただけます。 昭和18年以降の「横浜市会会議録」は、図書として所蔵があるほか、 昭和昭和23年以降は、「横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」」 ( https://www.lib.city.yokohama.lg.jp/Archive/ )でもご覧いただけます。 ア 『横浜市会史 第2巻 明治36年~大正3年』 横浜市会事務局/編 横浜市会 1983.3 p.195~196に「桜川埋立の答申」の項に、 桜川が舟運の利便性がなくなったこと、横濱停車場設備拡張の必要なこと等から、 答申案を報告、可決したと書かれています。 p.743~748にはさらに詳細について書かれています。 イ 『横浜市会会議録 昭和23年 第1-10号』 横浜市会 1948 第9号p14~23「諮問市第八号 市内西区桜木町地先公有水面桜川) 埋立に関する知事諮問の件」に、埋立の目的等について書かれています。 (4)『川の町・横浜 ミナトを支えた水運』 横浜開港資料館/編 横浜開港資料館 2007.1 p48 横浜市街地河川略年表に、 「1948(昭和23)年10月 桜川埋立工事着工(~1954年)」の記載があります。 3 桜川の写真が掲載されている資料について 埋立前後の写真が掲載されている資料をご紹介します。 (1)『横浜・中区史 人びとが語る激動の歴史』 中区制50周年記念事業実行委員会/編著 中区制50周年記念事業実行委員会 1985.2 p.135「野毛の旧桜川」 p.524「野毛のマーケット〔クジラ横丁 桜川 緑橋 農工銀行 勧業銀行〕」 (2)『昭和の横浜 写真集』 横浜市史資料室/編 横浜市史資料室 2009.6 p.262 「Ⅱ-㉛-07 桜川道路工事 1955(昭和30)年」 p.313 「Ⅲ-⑫-05 取り壊される桜木町デパート 1971(昭和46)年10月18日」 (3)『市政概要 1955年版』 横浜市役所/編 横浜市役所 1956.3 巻頭写真ページ「桜川埋立による新道路の完成を急ぐ -高島町交差点~桜木町中区役所裏-」 (4)『横浜西区史 区制50周年記念』 横浜西区史編集委員会/編 横浜西区史刊行委員会 1995.3 p.404 「桜川沿いの通称[鯨横丁]と呼ばれた飲食街、昭和二十五年頃」 (5)『グラフィック“西” 目で見る西区の今昔』 西区郷土史研究会/編集 西区観光協会 1981.10 p.33「桜川瓦斯(ガス)橋から紅葉橋をのぞむ 昭和3年(1928)8月15日」 p.129「〔明治末期の雪見橋 桜川〕」 | |||||||
回答プロセス (Answering process) | ||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) | ||||||||
キーワード (Keywords) | ||||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||
備考 (Notes) | ||||||||
調査種別 (Type of search) | 所蔵調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | ||||
登録番号 (Registration number) | 1000252249 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |