レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年08月23日
- 登録日時
- 2017/12/19 18:19
- 更新日時
- 2018/01/10 16:10
- 管理番号
- 2017-001
- 質問
-
解決
主に上流階級で洋装化が進む明治期の日本で、女性は1890年代に和装に回帰する時期があったようだ。どうして回帰したのか、従来の和装と違う点はあったのか。
- 回答
-
【論文】
①「日本における洋服受容の家庭 明治中期」宇野保子 『中国短期大学紀要』16, 24-33, 1984
「社会の近代化とほとんど接点がなかった女子には、男子にみられるような近代化と洋装化の相関をみることはできなかった。」
「条約改正は失敗に終わり、極端な欧化主義に対する国民の反感が残された。洋服の廃止論がさかんになったのは、この頃からであった。」
「洋服を機能的な面から、受容し始めたと考えられる女学生や女教員の間でも、しだいに洋服は着用されなくなっていった。(中略)このことは、当時の国粋主義の浸透として捕らえることができる。(中略)この間、女子の服装は復古調に変り、一般の女性はほとんどが和服となった。」
などの記述がある。
②「近代化と服装 : 洋服と和服の意味」馬場まみ 『日本衣服学会誌』53(2), 66-72, 2010
「明治初期の服装観では、洋服は「文明」、和服は「蛮風」とされ、和服は野蛮な服装とみられていた。(中略)明治半ばに国粋主義的な思想が出現すると、その思想とも結びつき、和服は「その国の国粋、及、独立を表はす」服装として評価されるようになる。すなわち、天皇中心の国家観、国粋主義的な視点から、和服が「良風」として再評価されるのである。そして、国粋主義的な意味をもつ和服を着ることは、女性に求められる役割となった。」と記述がある。
③「和服模様にみるデザインの近代化について」原田純子 『日本服飾学会誌』(20), 103-110, 2001
【図書】
『近代日本服装史』昭和女子大学被服学研究室著
p162に「やがて二十一年ころから鹿鳴館時代の極端な欧化主義の反動として国粋保存が唱えられ、社会の風潮は復古に傾いて服装界にもそれがおよび、また馴れぬコルセットに体をしめつけられて健康上思わしくない結果も生じたようで、洋装は下火になっていった。」
p165に 「十年代の終りごろから二十年代の初めにかけて、鹿鳴館時代といわれる極端な洋風風俗の模倣があったが、二十年に入ると、「都で夫人の着服は復古の風あり」(風俗画報・明治22年)、「近時の流行品は何品によらず古風の形に戻りて高尚優美なり」(風俗画報・26年)とあるように、欧化の反動として、社会の風潮は昔にかえり、服装界にも影響を与えた。一般の女性はほとんど和装に戻り、洋装は宮中、外交関係に残るぐらいとなった。」とある。
当時の服装について同ページに「二十年代は、ようやく各種産業の伸展期を迎え、服飾方面では、新しい織物があらわれるとともに、人造染料を用いる染色法も産業として成功し、従って鮮明な色合の使用が多くなった」や「全般的に淡色が喜ばれて、華美な風潮が増してきた」、「長着に黒い掛衿をするのは少しずつ減ってきたらしく」などの記述がある。
p180に「十年代末ごろから、一般にも小紋柄が流行し始めた。」「二十二年ごろからは婦人の衣服は復古の風潮が起り、鼠気の好みが一般的であった。」「二十六年には全体にまた復古調となり、新古とりまぜた新しい流行が生まれた。模様も変って、御殿模様とか、菊、牡丹、唐草などの古典的なものが用いられ、しばらく使われなかった桜模様が復活した。」とある。
『日本人の洋服観の変遷』家永三郎著
p41に「人為的な欧化主義が一時の熱病のように通り過ぎると、反動の風潮が強くなって、婦人洋服は再び姿をひそめて行った。もともと実生活の必要から出た洋装ではなかったので、流行のすたれ方も簡単であった。」「宮中では依然として洋服を用いていたし、看護婦など特別の職業についた人々は洋服を着用したが、一般の婦人で洋服を用いる人はほとんどなくなったのである。」
p43「明治二十年代の中頃以降、三十年代に進むにつれ、欧化主義は全くすたれ、反動的に国粋主義的思潮が支配的となって行き、婦人洋装のごとき全く問題にならないありさまとなった。」
『学校制服の文化史 : 日本近代における女子生徒服装の変遷』難波知子著
p25「鹿鳴館の落成以降、夜会での女性の洋装率は急速に上昇していったが、一八八七(明治二〇)年を過ぎる頃から下降をみせ始める。」
p26「条約改正中止以降、舞踏会が自粛されていたことが窺える」「洋装という目につきやすい欧化はそれを着用する妻及びその夫の立場や主義主張を露わにするため、特に政治家の家族の場合には何を着用すべきか慎重に配慮されたと考えられる」
p28「『朝野新聞』では「婦人の洋装益々其数を減し、十中八九は白襟紋付殊に黒地に淡泊なる裾模様したるもの多く、其他は空色水色藤紫等の夜目よきもの打交れり」」「鹿鳴館の落成から払い下げまでの間に、夜会における女性の洋装は、隆盛から衰退に転じ、この洋装の盛衰を経過して、ローブ・デコルテと白襟紋付が夜会の礼服として示された」
女学校の洋装に関する記述もあった。
p43「一八九〇年代になると洋装を廃止する動向が確認できる」
p48「各地域では、洋服を廃止し袴の着用を決めた学校もあれば、西洋風の束帯を続ける学校、銀杏返しに一定する学校などもあり、様々な対応がみられたことが確認できる」
『近代日本学校制服図録』難波知子著
p69「鹿鳴館時代の終焉により、女学校での洋装規定も緩和、廃止されていく。華族女学校では明治22(1889)年に式日以外での和服着用が認められ、翌年には和服と洋服の随意着用となっている。」「女子高等師範学校では、(中略)最終的に洋装規定が廃止されたのは明治26(1893)年で、今後「通常ノ和服」とする方針が示された。」
『衣服改良運動と服装改善運動』夫馬佳代子編著
p12「明治19~21年にかけては洋装の是非が論考の中心となっている。特にコルセットの害が問題となるが、こうした洋装の中で衛生上好ましい点は和服の中に積極的に取り入れるという考え方も出てくる。明治21年の後半から35年に至ると、和洋折衷、あるいは和服を基本として日本独自の改良服を求める姿勢が見られる。」とある。
『服装改善運動と流行』(『近代衣服書集成』第5巻)
①の論文中(p29)に出てくる『衣服と流行』を収録している。
『ベルツの日記』(上)トク・ベルツ編, 菅沼竜太郎訳(岩波文庫)
p354-356(明治37年1月1日)に、「何しろ洋服は、日本人の体格を考えて作られたものではないし、衛生上からも婦人には有害である、すなわちコルセットの問題があり、また文化的・美学的見地からは全くお話にならないと。」「衣裳が服装ではなく仮装になっている。固有の古代日本式衣裳を着ければ、自然でよく似合うものを。」とある。
『年表近代日本の身装文化』
【雑誌】
『女学雑誌』複製版
『風俗画報』(CD-ROM)
『みつこしタイムス』三越呉服店
『流行』白木屋呉服洋服店
『染織時報』
【図書】(当時の染織・模様の参考として)
『原色染織大辞典』
『着物文様事典いろは』
『明治・大正・昭和に見るきもの文様図鑑』
『染織の美25 特集明治・大正の染織』
『日本の染織17 近代の染織』
『織りと染めの歴史 日本編』
『時代きもの : 江戸・明治・大正・昭和の裾模様』
『明治の文様 : 染織』
紋織物についてp236に「高級な紋織物は、江戸時代では上層支配階級の専用品であり、庶民には高嶺の花であった。帯地としても一部の人達が用いていた程度で、一般は無地や縞繻子、博多織などを用いていたようだ。ところが維新後は身分による服装の制限も除かれたので、ここに帯地としての途が開かれて、やがて紋織物需要の大半を占めるようになった。」とある。
明治20年ごろについて「繻珍の小文様が全盛で、(中略)帯の地色は一般に茶系統が好まれ、(中略)鼠や紺の地に多くの色を配したものも見られる。」とある。
p246-249には「明治の染織文様年表」あり。
【図書】(明治中期の服装史の参考として)
『写真にみる日本洋装史』遠藤武, 石山彰著
『日本女子洋装への源流と現代への展開』石川綾子著
『日本婦人洋装史』中山千代著
『日本衣服史』増田美子編
- 回答プロセス
-
1.CiNii Articlesで検索し、以下の文献を見つけた。
①「日本における洋服受容の家庭 明治中期」宇野保子 『中国短期大学紀要』16, 24-33, 1984
②「近代化と服装 : 洋服と和服の意味」馬場まみ 『日本衣服学会誌』53(2), 66-72, 2010
③「和服模様にみるデザインの近代化について」原田純子 『日本服飾学会誌』(20), 103-110, 2001
明治・大正期のデザイン運動について記述があるため紹介したが、1890年代に関する記述とは言えない部分が多かった。
④「近代化と民族化--明治時代における和服の近代化をめぐるファッション論」井上雅人 『民族芸術』20, 41-46, 2004
当館未所蔵で原文は確認できないため紹介のみとした。
2.CiNii Articlesで見つけた文献の参考文献も参考にしながら、当館所蔵資料の中で日本の服装史に関する図書を調査した。
以下の資料で質問に関連する記述を見つけた。
『近代日本服装史』昭和女子大学被服学研究室著
『衣服改良運動と服装改善運動』夫馬佳代子編著
『日本人の洋服観の変遷』家永三郎著
『学校制服の文化史 : 日本近代における女子生徒服装の変遷』難波知子著
『近代日本学生制服図録』難波知子著
『服装改善運動と流行』(『近代衣服書集成』第5巻)
①の論文中に出てくる『衣服と流行』を収録しているため提供した。
『新聞集成明治編年史』第1巻~第15巻
①の参考文献。外部の書庫で保存しているため提供できなかった。
後日確認したところ、国立国会図書館デジタルコレクションにて公開されていた。
『ベルツの日記』(上)(下) トク・ベルツ編, 菅沼竜太郎訳(岩波文庫)
文献等で、洋装化批判の例として挙げられているので提供した。
『白木屋三百年史』
貸出中のため提供できなかった。後日確認したところ和装回帰に関する記述は見当たらなかった。
『年表近代日本の身装文化』
服飾関連の出来事を年表形式で確認できるため提供した。
3.質問「従来の和装と違う点はあったのか」への回答として、当時の染織・模様の参考資料を調査し、以下を提供した。必ずしも1890年代に関して触れているとは限らない。
『原色染織大辞典』
「元禄風」「元禄文様」:明治37,38年頃に流行した復古調の文様と記述あり。
具体的には石畳(市松)、槌車、輪違、蝶尽し、立筋に松鶴、疋田雲取垂梅、霞に松竹梅など。
『着物文様事典いろは』
『明治・大正・昭和に見るきもの文様図鑑』
『染織の美25 特集明治・大正の染織』
『日本の染織17 近代の染織』
『織りと染めの歴史 日本編』
『時代きもの : 江戸・明治・大正・昭和の裾模様』
4.文献の参考文献に掲載されている当時の刊行物を提供した。
『女学雑誌』
『風俗画報』(CD-ROM)
『みつこしタイムス』
『流行』白木屋呉服洋服店
呉服店のカタログ雑誌。2色刷りのため、着物の柄はわかるが、色づかいはわからない。
『染織時報』
当館未所蔵。国立国会図書館デジタルコレクションにて図書館送信資料として閲覧可能であることを案内した。
5.以下は、洋装化に関する記述で、和服回帰についてはほとんど触れていないが、明治中期の服装を扱っている資料として提供した。
『写真にみる日本洋装史』遠藤武, 石山彰著 p101-128(和洋混交の服装界:明治中期から末期の流行)
『日本女子洋装への源流と現代への展開』石川綾子著 p93-114(第二章 明治期は女子洋装初期時代)
『日本婦人洋装史』中山千代著 p234-265(ニ 明治中期)
『日本衣服史』増田美子編 p304-321(2 女性の服飾の変化)
- 事前調査事項
- NDC
-
- 衣食住の習俗 (383 9版)
- 参考資料
-
-
宇野保子. 日本における洋服受容の家庭 明治中期. 1984. 中国短期大学紀要 16 p. 24-33, ISSN 09141227
http://cur-ren.cjc.ac.jp/detail/26420100225030237 -
馬場まみ. 近代化と服装 : 洋服と和服の意味. 2010. 日本衣服学会誌 53(2) p. 66-72, ISSN 09105778
https://ci.nii.ac.jp/naid/10026247946 -
原田 純子. 和服模様にみるデザインの近代化について. 2001. 日本服飾学会誌 20 p. 103-110, ISSN 09105409
https://ci.nii.ac.jp/naid/40004528779 -
昭和女子大学被服学研究室 [編] , 昭和女子大学. 近代日本服装史. 近代文化研究所, 1971.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001189059-00 -
家永三郎 著 , 家永, 三郎, 1913-2002. 日本人の洋服観の変遷. ドメス出版, 1976.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001338416-00 -
難波知子 著 , 難波, 知子, 1980-. 学校制服の文化史 : 日本近代における女子生徒服装の変遷. 創元社, 2012.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023371112-00 , ISBN 9784422210148 -
難波知子 著 , 難波, 知子, 1980-. 近代日本学校制服図録. 創元社, 2016.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027535259-00 , ISBN 9784422210162 -
夫馬佳代子 編著 , 夫馬, 佳代子. 衣服改良運動と服装改善運動. 家政教育社, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008473717-00 , ISBN 9784760603633 -
増田美子 編・解説 , 増田, 美子, 1944-. 近代衣服書集成 第5巻 (服装改善運動と流行). クレス出版, 2015.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026394119-00 , ISBN 9784877338749 -
トク・ベルツ 編 , 菅沼竜太郎 訳 , Bälz, Erwin, 1849-1913 , Bälz, Toku , 菅沼, 竜太郎. ベルツの日記 上. 岩波書店, 1992. (岩波文庫)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002235266-00 , ISBN 4003342615 -
高橋晴子 著 , 高橋, 晴子, 1948-. 年表近代日本の身装文化. 三元社, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008570630-00 , ISBN 9784883031894 -
女学雑誌社 , 萬春堂. 女学雑誌 複製版. 臨川書店, 1967.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000011581-00 -
槌田満文 監修・編 , 大串夏身, 横山泰子 編 , 槌田, 満文, 1926- , 大串, 夏身, 1948- , 横山, 泰子, 1965-. 「風俗画報」CD-ROM版 Ver.2. ゆまに書房, 2002.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003074029-00 , ISBN 4843304336 -
三越呉服店. みつこしタイムス. 三越呉服店, 1908.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000022667-00 -
白木屋呉服店. 流行. 白木屋呉服店, 1906.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000024105-00 -
大日本織物協會. 染織時報. 大日本織物協會, 1904-[19--].
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1617655 -
山辺, 知行, 1906-2004. 明治の文様 : 染織. 光琳社出版, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002004159-00
-
宇野保子. 日本における洋服受容の家庭 明治中期. 1984. 中国短期大学紀要 16 p. 24-33, ISSN 09141227
- キーワード
-
- 服装--日本--歴史--明治時代
- 和服--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000226725