レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年04月18日
- 登録日時
- 2012/08/09 13:20
- 更新日時
- 2012/10/30 17:36
- 管理番号
- いわき総合-地域13
- 質問
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解決
塩屋埼にまつわる伝説があれば知りたい。
- 回答
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伝説関係の資料を確認しましたが、岬に関する伝説は見当たりませんでした。
塩屋埼灯台に関係する伝説(というか灯台の起源)に次のようなものがありましたので、参考まで にご案内します。
塩屋埼灯台の歴史は古く、11世紀初期に、小川の二ツ箭山の修験者・上平清賢が海の安全を願って 、江名合磯・巣平山に常夜灯を造ったのが始まりとされます。1854(安政元)年、上平亮賢が魚油 を燃料とする灯台を再興しましたが、ほどなく廃絶しました。塩屋埼灯台が完成したのは、1899( 明治32)年12月のことです。
(『のぼれる灯台14基』『福島県の歴史散歩』『いわきの伝説と民話』『いわき市史 第2巻』より )
- 回答プロセス
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1.資料を調査
【資料①】『のぼれる灯台14基』
P11に「地域余話」として江名合磯・巣平山の常夜灯の話があった。
【資料②】『福島県の歴史散歩』(山川出版社 2007)
P56に上小川の修験者・上平清賢が江名巣平山に常夜灯を造り、安政元年に上平亮賢が再興した旨 、記述あり。
【資料③】『いわき市史 第2巻』
P513に、安政元年に上平亮賢が再興した巣平山の踏雲閣(江名町合磯)は、魚油を燃料とした灯台 である旨、記述あり。
【資料④】『いわきの伝説と民話』(いわき地方史研究会 1977)
P203に「小川光明寺と塩屋埼灯台」あり、光明寺を建立した清賢法印と上平亮賢の話があった。
その他、『赤いイノシシ・いわきの伝説50選』『写真で綴るいわきの伝説』『浜通り伝説めぐり紀 行』『いわきの伝説ノート』『むかしあったんだっち』『ふるさとの伝説を旅するシリーズ』『豊 間の郷土史』『郷土誌 豊間小学校』『郷土誌 江名小学校』『いわきの山河』『みちのくいわきふるさと発見』『浜通り風土記』『いわきふるさと大百科』『地名の変化にみる、いわきの近代 』『絵はがきの中の「いわき」』など確認しましたが、塩屋埼の伝説に関する記述は確認できませ んでした。
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝説.民話[昔話] (388)
- 航海.航海学 (557)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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登れる灯台14基 [K/557/ノ]
その歴史 燈光会∥編
東京 燈光会 [2006.3]
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福島県の歴史散歩 [K/291/フ]
福島県高等学校地理歴史 公民科(社会科)研究会∥編
東京 山川出版社 2007.3 -
いわき市史 第2巻 [K/210.1-1/イ]
いわき市史編さん委員会∥編
[いわき] いわき市 1975 -
いわきの伝説と民話 [K/388/イ]
いわき地方史研究会∥編
いわき いわき地方史研究会 1977
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登れる灯台14基 [K/557/ノ]
- キーワード
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- いわき
- 伝説
- 塩屋崎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000109812