レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/11/22
- 登録日時
- 2020/03/25 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:40
- 管理番号
- M19121318308390
- 質問
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戦前に岡山市内にあった高砂座について。また、場所は今のどのあたりにあったのか知りたい。
- 回答
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資料①『岡山県大百科事典(上)』によると、「1888年(明治21)頃~?岡山市大雲寺町、煉瓦づくり、ドア付き、アーチ型の玄関、近代的な劇場建築だった。」とあり。
資料②『岡山太平記』には、「その小屋の出来たのは、明治21年の9月の事だ。…(中略)…二十日堀の大雲寺町に建てたものである。」「巴里のオペラー座を真似た、其當時岡山唯一の煉瓦造りであった。観客席は、ドアー附きのアーチ型と云ふハイカラ振り、左右の空地には樹木を植、便所の清潔から採光通風にまで意を注ひだ、今なら別段珍しいことでもないが、實に素晴しい文化的設備を試みたのであつた。」としている。他にも、開場式の事や上演された芝居、入場料などについても書かれている。
資料③『岡山の風俗』には、高砂座の外観を描いた絵図が掲載されており、説明文には、「明治時代の豪華劇場だった高砂座-明治21年新築 岡山市大雲寺交叉点の北にあった」とあり。
資料④『岡長平著作集 第2巻 岡山始まり物語』でも、数多の劇場とともに高砂座についての記述を見ることができる。衰退後の後半には「解体して小さくし、蓮昌寺の衆楽園へ高砂座が再現した。」と書かれている。
資料⑤『連昌寺史』には、戦前の蓮昌寺について当時を知る方の記述の中で、「その頃田町は、東田町、西田町、下田町とあり、東田町の南北の通りは西から、本通り、中通り、そして寺のある蓮昌寺のある寺の内と三つに分かれていた。中通りには銭湯や、高砂座という芝居小屋もあり…」と書かれている。他にも「戦後、旧高砂座の跡地に豊島劇場という芝居小屋が出来たこともありました。現在の一丸堂南西の遊園地のある一画が、そうであろうと思えますが、…」といった話が掲載されている。
資料⑥『最新詳密岡山市街地図』には、蓮昌寺の南西に「高砂座」と記載されているのが確認できる。
資料⑦『岡山新市街地図』では、蓮昌寺より南東にある大雲寺付近に「高砂座」と記載されているのが確認できる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 風俗習慣.民俗学.民族学 (380 9版)
- 参考資料
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資料①『岡山県大百科事典(上)』山陽新聞社,1980,1493p. 参照はp.902
資料② 丘 三千古『岡山太平記』宗政修文館,1930,280p. 参照はp.236-243
資料③『岡山の風俗』日本文教出版,1977,174p. 参照はp.67
資料④ 岡 長平『岡長平著作集 第2巻 岡山始まり物語』岡山日日新聞社,1977,549p. 参照はp.520-521,524-527,532-537,540-545
資料⑤『蓮昌寺史』岡山蓮昌寺,2002,833p. 参照はp.435,441,444
資料⑥『最新詳密岡山市街地図』細謹舎,1940
資料⑦『岡山新市街地図』駸々堂旅行案内部,1928
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資料①『岡山県大百科事典(上)』山陽新聞社,1980,1493p. 参照はp.902
- キーワード
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- 劇場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2019121318352308390
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000276578