レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20190504
- 登録日時
- 2023/06/01 00:30
- 更新日時
- 2023/06/01 00:30
- 管理番号
- 徳郷20190502
- 質問
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解決
ア)蜂須賀家と黒田家(福岡)が離縁などにより不仲だったという出典を知りたい。
ブログで、「江戸城内で会っても口を利かなかった」と見たが、出典が記されていなかった。
イ)敬台院(至鎮の正室)の養子について。
お坊さんらしい。寺に記述があるが、それ以外に資料が見当たらない。
- 回答
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ア)
以下資料【A】では、「御一門様御続書」(国文学研究資料館所蔵)、「阿淡年表秘録」を出典としている。
【A】『四国の大名 近世大名の交流と文化』
p21-39「第二章 阿波蜂須賀家の交際 -彦根井伊家と高松松平家を中心に」
蜂須賀家の交際関係を列記した「御一門様御続書」(国文学研究資料館所蔵)を考察した論文。
「御一門様御続書」を、表にまとめた
「表6 様書之御方」のp32-33に、
「2 様書 松平美濃守 福岡52 ・藩祖家政(家祖正勝)女糸は天正8年に黒田長政に輿入れ、慶長5年離縁ニ付書状のやりとりがなくなったところ、享保12年12月1日、和談により再開」
と書かれている。
p35-36でも、「黒田家は本書では様書に収められているが、江戸前期には不通で後に関係が修復されて通路状態となった。…長政は関ヶ原の戦いの直前に糸を一方的に離縁し徳川家康の娘を正室に迎えた。蜂須賀家はこれに立腹し、両家は手紙のやり取りをしない普通の状態が長く続いたが、享保一二年(一七二七)に至ってようやく和談となった。「阿淡年表秘録」によれば、和談後、五代藩主綱矩は江戸城で黒田家と面会したが、それは「初而御対顔」と記されている。つまり、不通状態にある両家、少なくとも蜂須賀家側にとっては、江戸城の同席大名であっても顔を合わさない関係であったのだ。」
と書かれている。
「御一門様御続書」、「阿淡年表秘録」は、以下の方法などで見ることが出来る。
【B】「御一門様御続書」(国文学研究資料館所蔵)
国文学研究資料館HP
https://www.nijl.ac.jp (最終確認 2023.4.25)
>電子資料館>収蔵歴史アーカイブデータベース>「【徳島県】阿波国徳島蜂須賀家文書(大名)」の、「文書内検索」クリック。
「御一門様御続書」を入力して検索すると、ヒット。
23コマ目の右側ページ「筑前福岡五十二万石余 松平美濃守様」に、「瑞雲院様御女 糸姫様…」とあり、離縁し交流が絶えたこと、享保12年12月朔日に和談したことなどが記されている。
【C】『徳島県史料 第1巻 阿淡年表秘録』
p355-356の1段目、享保十二年
「十一月朔日
公御登城之節松平筑前守殿御和談相調初而御対顔
但松平大学頭君御挨拶ニよつて也」
とある他、以後の日にちに、松平筑前守との交流が記されている。
p354同3段目にも、「十一月朔日 松平筑前守殿御和談相調…」と記されている。
他に、当館所蔵森文庫にも、「御一門様御続書」と類似する資料あり。
【D】『御一門様御両敬様書並御続略記』(当館所蔵 森文庫本(写)のマイクロフィルムより製本)
10枚目「松平官兵衛様」の項。
「…故有テ御解縁御取遣相絶候処享保十二未年御和談ニテ…」
以下は、出典が記されていないが、【A】と同様に、二家の関係について書かれている資料。
【E】『史窓 第38号』
p34-55「徳島藩蜂須賀家の「奥」 -正室・こども・奥女中」根津寿夫/著
の、p54補注(9)。
【F】『阿波の歴史と文化 論集』
p71-93「近世大名蜂須賀家の婚姻と藩政の動向」田中多津美/著
p73「表A 蜂須賀家歴代の姫たちの嫁ぎ先」の、「糸」の欄に、黒田長政に嫁ぎ、離縁したことが書かれている。
p82-83に不仲になったことなど、詳細が記されている。
以下は、結婚・離縁したことについてのみ記述有。不仲については、記述なし。
【G】『蜂須賀家記』
p22「公、以女嫁黒田松千代長政、筑前守、」
p26「瑞雲公、女一適黒田氏、有故離婚、」
【H】『和訳 蜂須賀家記 附録蜂須賀大源公補伝』
上記【G】の訳。
p11「是年太閤、公に命じて女を以て黒田松千代長政筑前守に嫁せしむ。【考異】《蜂須賀家譜一説に太閤養女となし之を嫁すと。》」
p15「女一は黒田氏に適き、故ありて離婚す。」
p21-22「女 名は糸、播州山?城主黒田勘解由孝高の長子松千代丸長政に適く。後、故ありて大帰し、西丸に住す。…」
イ)
【I】『いのち輝く 20160500 No.82』
p22-23「とくしま人物列伝30 初代蜂須賀至鎮夫人・敬台院」根津寿夫/著
大石寺(静岡県富士宮市)の説明の中に「同寺の御影堂棟札には、大石寺17世日精上人の「養母」と記されているという。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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ア)「御一門様御続書」(国文学研究資料館所蔵)などを見たが、見つけられなかった。福岡県には問い合わせたが、蜂須賀家の不仲について書かれた資料はないとのことだった。
- NDC
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- 四国地方 (218 8版)
- 参考資料
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- 【A】四国の大名 近世大名の交流と文化 (T209.5シコ221-39四国地域史研究連絡協議会/編 岩田書院 2011.4)
- 【C】徳島県史料 第1巻 阿淡年表秘録 (T209トク316-1355-356徳島県史編さん委員会/編 徳島県 1964)
- 【D】御一門様御両敬様書並御続略記 (T280Lシン5 徳島県立図書館 1997.02)
- 【E】史窓 第38号 (T205トク434-55徳島地方史研究会 徳島地方史研究会 2008.03)
- 【F】阿波の歴史と文化 論集 (T209アワ871-93阿波の歴史と文化刊行会/編 阿波の歴史と文化刊行会 2015.8)
- 【G】蜂須賀家記 (T280ハチ22522,26岡田鴨里/編 東洋社 1876)
- 【H】和訳 蜂須賀家記 附録蜂須賀大源公補伝 (T280ハチ22411,15,21-22岡田鴨里/編 阿波郷土会 1943)
- 【I】いのち輝く 20160500 No.82 (T369Lトク3122-23とくしま“あい”ランド推進協議会 とくしま“あい”ランド推進協議会 2016.05)
- キーワード
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- 蜂須賀、 糸、 黒田長政、 敬台院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000333820