レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年10月02日
- 登録日時
- 2010/12/17 18:46
- 更新日時
- 2010/12/17 18:46
- 管理番号
- 9000006815
- 質問
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未解決
ロゼッタ・ストーンは、なぜラシード・ストーンではなく、ロゼッタ・ストーンと呼ばれるようになったのか知りたい。
- 回答
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命名の経緯についてはわからなかった。『大英博物館図説古代エジプト史』(A.J.スペンサー編 原書房 2009年)によると、ロゼッタ・ストーンは、ロゼッタ(ラシード)で発見後、カイロに新設したばかりのフランス・エジプト研究所に移され、やがて「ロゼッタ・ストーン」の名で知られるようになった。カイロ陥落後フランス軍は撤退し、アレクサンドリア条約によりイギリスに譲渡され、大英博物館に収められた。
- 回答プロセス
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1.『世界大百科事典』第30巻(平凡社 2007年)で「ロゼッタ・ストーン」の項を見ると「1799年8月、ナイルの一河口の町ロゼッタ(ラシード)の近くで発見されたのでこの名がある」とある。『世界大百科事典』第29巻で「ラシード」の項を見ると、「ロゼッタRosettaの名でも知られる」とある。
2.エジプトの歴史関係の図書を調査。
・『古代エジプト探検百科(ヴィジュアルクロニクル)』(ニコラス・リーヴス著 原書房 2002年)p14には、「場所 アル=ラシード(ロゼッタ)」とあるが、命名の経緯については記述はない。
・『大英博物館図説古代エジプト史』(A.J.スペンサー編 原書房 2009年)には、p177にはロゼッタストーン発見から、大英博物館に収められるまでの経緯の説明がある。「石版はやがてカイロの研究所に移され、やがて「ロゼッタ・ストーン」の名で知られるようになった」とあるが、命名の経緯については書かれていない。
・『ヒエログリフ解読史』(ジョン・レイ著 原書房 2008年)には、p34-47にロゼッタストーン発見から大英博物館に収められるまでの経緯の説明がある。1802年にイギリスに到着したが、「石が有名になるのはもっと後のことだ」とある。命名の経緯については書かれていない。
3.大英博物館関係の図書を調査
・『大英博物館古代エジプト百科事典』(イアン・ショー著 原書房 1997年)で「ロゼッタ・ストーン」の項を見るが、名称についての記述はない。
・『大英博物館の至宝』(マージョリー・ケイギル著 ほるぷ総連合・ほるぷ教育開発研究所 1994年)にはp51-53に「ロゼッタ・ストーンとヒエログリフの解読」の項があり、発見からの経緯があるが、名称についての記述はない。
4.「ラシード」の地名について調査。
・『外国地名レファレンス事典』(日外アソシエーツ編集・発行 2006年)p1060には別名「ロゼッタ」とある。
・『世界地名情報事典』(辻原康夫編著 東京書籍 2003年)p455には「英名 ロゼッタ」とある。
・『コンサイス外国地名事典』(三省堂編・発行 1985年)p1094には「別称 ロゼッタ」とある。
・『世界地名語源辞典』(蟻川明男著 古今書院 1993年)p457には「ロゼッタ(ラシードが訛ったもの)」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- エジプト (242 9版)
- 参考資料
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- 『大英博物館図説古代エジプト史』(A.J.スペンサー編 原書房 2009年) (p177)
- キーワード
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- ロゼッタ・ストーン
- エジプト
- ロゼッタ
- ラシード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- ロゼッタ・ストーンは、1799年7月15日、ナポレオンのエジプト遠征の際、フランス遠征軍に参加していた工兵将校ピエール・ブシャール大尉により、ラシード(ラシードはアラビア語で、現地での名称。ヨーロッパではロゼッタという名で呼ばれる)にある中世の要塞を修復中に発見された。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- アフリカの歴史
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000075484