レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 所沢市立所沢図書館 (2310110) | 管理番号 (Control number) | 所沢新所-2019-012 | ||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2018/10/12 | 登録日時 (Registration date) | 2020年03月25日 00時30分 | 更新日時 (Last update) | 2020年03月25日 09時06分 | ||||||||||
質問 (Question) | 「徽宗」の読み方と人物が知りたい。また、「永徽」と同一人物なのか。 | ||||||||||||||
回答 (Answer) | 「徽宗」は「きそう」と読みます。北宋の第八代皇帝の名前です。 以下の資料に記載があります。 〇『漢字源』 藤堂明保/編 松本昭/編 他 学研 2007年 〇『大漢和辞典 巻10』 諸橋轍次/著 大修館書店 1976年 〇『中国人名事典』 日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 1993年 〇『外国人物レファレンス事典 3』 日外アソシエーツ編集部/編 日外アソシエーツ 2010年 〇『世界伝記大事典 日本・朝鮮・中国編 2』 ほるぷ出版 1978年 〇『中国歴史地図』 朴漢済/編著 吉田光男/訳 平凡社 2009年 〇『東洋歴史大辞典 上巻』 臨川書店 1986年 「永徽」は「えいき」と読みます。人名ではなく唐の年号です。 以下の資料に記載があります。 〇『大漢和辞典 巻6』 諸橋轍次/著 大修館書店 1976年 〇『世界史年表・地図』 亀井高孝/編 三上次男/編 林健太郎/編 堀米庸三/編 吉川弘文館 2016年 〇『山川世界史小辞典』 世界史小辞典編集委員会/編 山川出版社 2004年 | ||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1、所蔵資料の内容確認 ①「徽宗」について、所蔵資料の内容確認。 〇『漢字源』 藤堂明保/編 松本昭/編 他 学研 2007年 P541「徽宗(キソウ)」の項目に、「1082~1135 北宋の第八代の皇帝。在位1100~25。神宗の子。書画・音楽や道教信仰に熱心で政治を顧みなかったため反乱がおこり、金の侵入にあって退位。書画をよくし、画院を設けて多くの画家を養成した。」と記載あり。 P1920「中国文化史年表」の1127年に、「徽(キ)宗・欽宗が金に捕らえられ(靖康の難)、北宋滅ぶ。」との記載あり。 △『大漢和辞典 巻4』 諸橋轍次/著 大修館書店 1976年 P936「徽宗(キソウ)」の項目に、「宋の第八代の王。趙佶を見よ。」と記載あり。 〇『大漢和辞典 巻10』 諸橋轍次/著 大修館書店 1976年 P858「趙佶(テウキツ)」の項目に、「宋の徽宗。神宋の第十一子。哲宋に嗣いで立つ。深く百藝に通じ、書畫に尤も巧。又、道教を崇奉し、自ら教主道君皇帝と稱す。靖康の末、金人のために欽宗等と共に劫掠され、紹興五年、五國城に崩ず。廟號は徽宗。在位二十五年。年號六、建中靖國・崇寧・大觀・政和・重和・宣和。〔宋史、十九-二十二〕。」と記載あり。 〇『中国人名事典』 日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 1993年 P126「徽宗(きそう)」の項目に、「(1082(元豊5.10.10-1135(紹興5.4.21))ホイゾン」「北宋第8代の皇帝(在位1100-25)。詩文、書画などにすぐれ、造園、建築にも造詣が深く、古美術の大収集家としても知られるほか、書では瘦金体を創始。」と記載あり。 〇『外国人物レファレンス事典 3』 日外アソシエーツ編集部/編 日外アソシエーツ 2010年 P415「徽宗」の項目に、「〈11・12世紀〉中国、北宋の第8代皇帝(在位1100~25)。名は佶。神宗の子。詩文、書画、建築などに造詣が深く美術工芸を奨励。古美術の蒐集家でもあった。」と記載あり。 〇『世界伝記大事典 日本・朝鮮・中国編 2』 ほるぷ出版 1978年 P93-95「徽宗(きそう Huizong)」の項目に「徽宗(1082-1135)は中国北宋第8代皇帝(在位1100-25)。兄哲宋の病死によって帝位についた。新法党を用い、蔡京を重用し、宮殿、道観などの造営と文化事業とに財を投じた。1125年、金軍に国都開封を攻められて皇太子欽宋に譲位、27年金に捕らえられ、北満州の配所で死んだ。」と記載あり。 〇『中国歴史地図』 朴漢済/編著 吉田光男/訳 平凡社 2009年 P100「北宋末の党争」に、「哲宋の後を継いだ徽宗が即位すると、神宗の皇后だった向皇太后が摂政となった。」「親政を始めた徽宗は、徹底的に神宗の新法政治を継承する姿勢を見せた。」「徽宗は政治家より芸術家に近い気質の人物であり、書と美術にかなりの識見と資質を示した。しだいに政治から遠ざかり、道教を厚く信奉し、芸術品を収集したり壮大な宮殿や庭園を造営するなど、奢侈と享楽にふけったため、『風流天子』や『道君皇帝』などと呼ばれる。」と記載あり。 〇『東洋歴史大辞典 上巻』 臨川書店 1986年 P704「キソー 徽宗」の項目に、略歴の記載あり。人物として「帝は周成美・李淸照と共に北宋末の詩壇を飾る詩人であり、書壇に於ては之を奨勵し、北宋繪畫史の極盛期を現出せしめ、自らも繪畫をよくし、殊に花鳥畫・折枝畫は妙趣に達し寫實の精巧は他に類を見ない程で、有名な『宣和畫譜』も彼が勅輯せしめたもの。」と記載あり。 ②「永徽」について所蔵資料の内容確認。 〇『大漢和辞典 巻6』 諸橋轍次/著 大修館書店 1976年 P890「永徽(エイキ)」の項目に、「唐、高宗(李治)の年號。(650-656)」と記載あり。 〇『世界史年表・地図』 亀井高孝/編 三上次男/編 吉川弘文館 2016年 P4中国年号一覧に「永徽(唐)650~55」の記載あり。 〇『山川世界史小辞典』 世界史小辞典編集委員会/編 山川出版社 2004年 P1010「西暦対照東洋年代表」に、唐の時代の高宗皇帝の年号で「永徽1~6年(650-655年)」と記載あり。 2、記載のなかった資料 ×『岩波世界人名大辞典 第1分冊』 岩波書店 2013年 ×『中国歴史人物大図典 歴史・文学編』 瀧本弘之/編著 遊子館 2004年 ×『人物レファレンス事典 美術篇』 日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2010年 | ||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 人物 | 質問者区分 (Category of questioner) | 一般 | ||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000276506 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |