レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年06月09日
- 登録日時
- 2019/03/27 18:00
- 更新日時
- 2020/05/09 16:19
- 管理番号
- 広県図2018116
- 質問
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解決
浅野長政の賤ヶ岳の戦いでの活躍に関する記述がある資料
- 回答
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当館所蔵の次の郷土資料を調査したところ,次の資料に浅野長政の賤ヶ岳の戦いでの活躍に関する記述がありました。
『浅野長政公傳』浅野忠純/著,饒津神社三百年祭典事務所,1901【H28.1/A874】
p.3-6 略年譜
p.4「同[天正]十一年(三十七歳) 江州、勢州の戦功、越前の戦佐久間玄蕃生捕の功。近江の國下甲賀、栗太両郡の内二千三百石をうく。」
このほか,次の資料を確認しましたが,関連の記述は見付かりませんでした。
『広島県史 近世1』広島県/編,広島県,1981【H21/H73-3/4ア】
p.107-110 浅野氏の場合
p.107-108に浅野長政の名前が散見されますが,賤ヶ岳の戦いに関する記述はありません。
『新修広島市史 第1巻 総説編』広島市役所/編修,広島市役所,1961【H21.1/H73/1ア】
p.315-316 浅野氏の出自
p.316「(略)その養嗣子長政は豊臣秀吉の相聟という姻戚関係から秀吉に重用され、五奉行の筆頭に列した。はじめ近江に二万余石を与えられたが、(略)」
賤ヶ岳の戦いの内容についての記述はありません。
『新修広島市史 第2巻 政治史編』広島市役所/編修,広島市役所,1958【H21.1/H73/2ア】
p.152-153 浅野長政
p.152「その間天正十一年八月賎が嶽の戦功によって、近江国に二万一三〇〇石を領し、(略)」
戦いの内容についての具体的な記述はありません。
『浅野長政とその時代』黒田和子/著,校倉書房,2000【H289/アサナ100ア】
p.57「賤ヶ嶽合戦後、槇島城主から瀬田城主となった浅野長吉の全知行高二万三百石(略)」
戦いの内容についての具体的な記述はありません。
『浅野長政公傳』手島益雄/編,東京芸備社,1920【H28.1/A874-2】
『長政公御入國〓[より]二百年町家由緒記』1800【H28/N15】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 賤ヶ岳の戦い
- 浅野長政
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000254062