レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年06月02日
- 登録日時
- 2019/08/30 10:09
- 更新日時
- 2019/11/08 14:40
- 管理番号
- 北ー1ー00013
- 質問
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解決
スターリンが1918年アルメニアとトルコの国境にあるアララト山をトルコにあげたという話を聞いた。何故あげたのか書かれているものはあるか。ヤルタ会談との関係について。
- 回答
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「モスクワ友好条約はソヴィエト・ロシアとトルコの間で締結されたもので(中略)その第四項で国境線が定められ、最終的にカルス、アルダハン、アルトヴィン、スルマル(アララト盆地のアラクス川以南の地域)各地方のトルコ領有が確定し、アルメニア人に親しまれていたアララト山はトルコ領と定められた」とある。(『アルメニア近現代史』東洋書店、2009年、P41)
『悲劇のアルメニア』(新潮社、1991年、P170)にも同様の内容が記載されていたため、『スターリン 超大国ソ連の独裁者』(山川出版社、2017年)にあるスターリン年表とあわせて3点を利用者にご案内した。
- 回答プロセス
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領土問題は第一次世界大戦後(1918~)、ヤルタ会談は1945年のため、ヤルタ会談とは関係がないと思われる。スターリンの方面から調べても詳しい資料は見つからなかったため、アルメニアに関する資料から調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- アジアロシア (229 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 近代史
- アルメニア
- トルコ
- ソビエト連邦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000260618