レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 平成22年7月6日
- 登録日時
- 2010/09/03 12:17
- 更新日時
- 2011/03/18 16:51
- 管理番号
- 相大-H22-0017
- 質問
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解決
幕末の頃、ロシアとの交渉に“幕府宣諭使”(センユシ)が゙あたったと何かで読んだ。
“幕府宣諭使”とはスポークスマンのことであったのかどうか知りたい。
- 回答
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『大漢和辞典 巻3』 に、宣諭使とは、“天子の徳音を地方に宣諭すること”という記載があり、
『日本国語大辞典第二版 巻7・8』の「スポークスマン」とは“政府・団体などの意見、所信などの公表を担当する人。また、代弁者。”
「宣諭」とは、“のべさとすこと。上意を述べて民をさとすこと。”とある.
また幕末の外交を知る資料である
『外交儀礼から見た幕末日露文化交流史』に、宣諭使に任命された人物について記載あり。
これらを総合すると、質問のとおり、幕末の頃、幕府の上意をロシア側に伝える役目であり、
幕府の代弁者としての役割からスポークスマンといえる。
『外交儀礼から見た幕末日露文化交流史』 を提供した。
- 回答プロセス
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自館の参考図書で検索。キーワード“宣諭使”(センユシ)
『江戸幕府大事典』 大石学/編 吉川弘文館 2009 【s29911229 R210.5】宣諭使の記載なし
『徳川幕府事典』 竹内誠/編 東京堂出版 2003 【s22075667 R210.5】宣諭使の記載なし
『大漢和辞典 巻3』 諸橋轍次/著 大修館書店 1988 【s05732003 R813】
P1001に「宣諭使」とは、“官名。宋、置く。天子の徳音を地方に宣諭すること”という記載あり。
『日本国語大辞典第二版 巻8』 小学館 2001 【s17795998 R813.1】
P179に「宣諭」とは、“のべさとすこと。上意を述べて民をさとすこと。”という記載あり。
『日本国語大辞典第二版 巻7』 小学館 2001 【s17787151 R813.1 】
P1038に「スポークスマン」とは、“政府・団体などの意見、所信などの公表を担当する人。また、代弁者。”という記載あり。
以上より、「宣諭使」とは、幕府の代弁者としての役割からスポークスマンといえる。
検索サイトGoogle“幕府宣諭使とは”で検索
『間宮林蔵のカラフト探検と江戸幕府の蝦夷地支配・ロシア外交』
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/history001/edo008.html (2010年9月3日最終確認)
に「幕府の外交を担当していた宣諭使」という記述あり。
上記の情報を参考に自館OPACで検索。キーワード“ガイコウ バクマツ ロシア”
『外交儀礼から見た幕末日露文化交流史』 生田美智子/著 ミネルヴァ書房 2008 【s26969659 210.593】
この資料に記載された「宣諭使」に任命された人物から以下の資料を調べる。
『対外関係史辞典』 田中建夫・石井正敏/編 吉川弘文館 2009【s30004394 R210.1】
宣諭使に任命された大黒屋光太夫とラクスマンについての記載あり
『遠山金四郎の時代』 藤田覚/著 校倉書房 1992【s11253382 210.55】
宣諭使に任命された遠山金四郎についての記載あり
これらのことから、質問のとおり、幕末の頃、幕府の上意をロシア側に伝える役目であり、スポークスマンといえる。
※【 】内は自館の資料コードと請求記号
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 辞典 (813 9版)
- 参考資料
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- 『対外関係史辞典』 田中建夫・石井正敏/編 吉川弘文館 2009
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『遠山金四郎の時代』 藤田覚/著 校倉書房 1992
- 『日本国語大辞典第二版 巻8』 小学館 2001
- 『大漢和辞典 巻3』 諸橋轍次/著 大修館書店 1988
- 『外交儀礼から見た幕末日露文化交流史』 生田美智子/著 ミネルヴァ書房 2008
- キーワード
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- 宣諭使
- 幕府
- 外交
- スポークスマン
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000070781