レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2019/10/26 14:00
- 更新日時
- 2019/10/31 09:37
- 管理番号
- 171
- 質問
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解決
天正7~8年(1579~1580)の荒木村重謀反後に尼崎城に居城し、後に初代姫路藩主となる池田輝政の尼崎での事績を記した文献、あるいはこれに関連する古文書等史料を収録掲載する文献はあるか?
- 回答
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織田家家臣の池田家に生まれ、信長・秀吉に仕えた池田輝政は、天正7~8年(1579~1580)に荒木村重が信長に対して謀反を起こした際、父の池田恒興とともに信長方の武将として参陣しています。村重方の敗北後は恒興が村重にかわって摂津一国を支配し伊丹有岡城に在城、支配下にある花熊城(現神戸市中央区)は恒興嫡男の元助が、尼崎城は輝政が預かり、それぞれ在城することになりました。
池田父子による摂津国支配と輝政の尼崎在城は、本能寺の変(天正10年、1582)による信長の死を経て、天正11年に恒興が美濃大垣城主として転出するまで続きました。その後は、天正12年の小牧・長久手の戦いにおける恒興・元助の討死と輝政の家督相続、所領の変遷を経て、慶長6年(1601)に輝政は初代姫路藩主となりました。
こういった、輝政と尼崎の関わりについては、『尼崎市史』第2巻に記述があり、第5巻に尼崎時代の輝政が発給した禁制(きんぜい)3点が翻刻収録されています。『姫路市史』第3巻と第10巻にも、同様に姫路時代の輝政に関する記述と史料翻刻が掲載されています。
池田家の系譜や事績全般については、これを詳しく記す参考文献『池田家履歴略記』があります。
なお、輝政没後の大坂冬の陣(慶長19年、1614)の際、開戦に先だつ同年5月、徳川家康の命により、姫路藩第二代藩主の池田利隆が家臣の池田重利を尼崎城に派遣しています。このとき徳川方についた尼崎城の城主建部政長が幼少であり、これを支援するため、輝政の甥で政長の叔父にあたる重利が尼崎代官に任じられたものです。重利は、冬の陣・夏の陣を通して尼崎城を守備した功により摂津国内の川辺郡と欠郡に計1万石の知行をあてがわれ、その領有と尼崎在城、政長の補佐は重利が播磨国揖東郡に所替えとなる元和3年(1617)まで続きました。
- 回答プロセス
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1 池田輝政及び甥の重利と尼崎の関わりについて記す文献
◆『尼崎市史』第2巻 通史編近世
近世初頭の尼崎と輝政の関係、大坂の陣前後の重利の尼崎城守備等について記す。
◆『尼崎市史』第5巻 史料編近世上
輝政が発給した禁制3点の翻刻文を収録。
2 初代姫路藩主としての輝政について記す文献
◆『姫路市史』第3巻 本編近世1
初代姫路藩主となる前後の池田輝政の事績等について記述する。
◆『姫路市史』第10巻 史料編近世1
輝政藩主時代の侍帳、禁制等数点の翻刻文を収録。
3 池田家の系譜・事績全般について記す参考文献
◆『池田家履歴略記』
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 参考資料
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尼崎市. 尼崎市史 第2巻. 尼崎市, 1968.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001106748-00 (当館請求記号 219/A/ア-2) -
尼崎市. 尼崎市史 第5巻. 尼崎市, 1974.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001209937-00 (当館請求記号 219/A/ア-5) -
姫路市史編集専門委員会 編 , 姫路市. 姫路市史 第3巻 (本編 近世 1). 姫路市, 1991.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002930707-00 (当館請求記号 219/H/ヒ-3) -
姫路市史編集専門委員会 編 , 姫路市. 姫路市史 第10巻 (史料編 近世 1). 姫路市, 1986.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001804918-00 (当館請求記号 219/H/ヒ-10) -
池田家履歴略記. 日本文教出版, 1963.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001048498-00 (当館請求記号 288/H/(別)ヨ-1・2)
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尼崎市. 尼崎市史 第2巻. 尼崎市, 1968.
- キーワード
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- 池田輝政
- 池田重利
- 池田家
- 尼崎城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000262910