レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月07日
- 登録日時
- 2011/07/08 11:42
- 更新日時
- 2014/04/06 11:34
- 管理番号
- 茨歴閲2011008
- 質問
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『常陸国風土記』の“久慈郡”の章に出てくる「賀毗禮(かびれ)の高峰」は,どの場所を示すのか。
- 回答
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「賀毗禮の高峰」がどこを指しているかは現在明確にされておらず,4つの説が考えられています。
1.御岩山(=入四間山) 〔日立市〕
→『常陸国風土記註釈』『水戸領地理誌』『郷土ひたち』第9号などより。久慈郡の章に表記されていることから,久慈郡に位置していた入四間村(現在:日立市入四間町)にある入四間山が濃厚とし,この御岩山説が現在最有力であるといわれています。また,風土記にみられる賀毗禮の高峰にあった石釜というのが,入四間山に現存しているそうです。
2.神峰山 〔日立市〕
→『訂正常陸風土記』より。「かびれ」から「かみね」に転訛したものと考えられています。
3.高鈴山 〔日立市〕
→『常陽藝文』1991年4月号より。御岩山を含む全体を賀毗禮の山としているようです。
4.真弓山 〔常陸太田市〕
→『常陽藝文』1991年4月号より。『常陸国風土記』には,賀毗禮の山が薩都(さと・さつ)の里の東にあると書かれていますが,この薩都の里から最も東寄りに位置していることから真弓山が挙げられています。
最近の資料ですと,『常陽藝文』1991年4月号に掲載されている特集「賀毗禮の高峰はどこか」にその旨がわかりやすくまとめてありますので,こちらをご覧になってみてはいかがでしょうか。
- 回答プロセス
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(1) 書庫にて常陸国や常陸国風土記関連の資料を調べる。
Ⅰ.常陸国のことが詳しく書かれている『復刊 新編常陸国誌』(中山信名修 栗田寛補/1969)にて「賀毗礼山」を探してみたところ,『水戸領地理誌』の中で「久慈郡入四間村ニアリ」との表記があった。
Ⅱ.『常陸国風土記註釈』(有馬徳著/1973)を調べてみると,賀毗礼の高峰は日立市入四間町にある「御岩山」(=入四間山)であるとの記述あり。
Ⅲ.『訂正常陸風土記』
Ⅳ.『常陸国風土記の探求』(「市民の古代」編集委員会編/1995) →「常陸国風土記研究文献目録」が収録されている。
(2) 「賀毗禮」にはさまざまな表記があり,その一つである「賀毘礼」を検索キーワードとし,茨城県立図書館資料検索ページにて検索。
http://www.lib.pref.ibaraki.jp/opac/index.html
そのうちの『郷土ひたち 第9号』(郷土ひたち文化研究会編/1963)の中に,「常陸風土記にみえる賀毘礼の高峯について」という論文が掲載されていた。これによると,常陸国風土記にみえる賀毗礼の高峯にあったという石釜が入四間山(御岩山)に現存していることから,賀毗礼の高峯は「御岩山」である可能性が高いことを記している。
(3) 当館の資料検索にて「賀毘礼」をキーワードにして検索してみると,『常陽藝文』1991年4月号がヒットした。中には特集として「藝文風土記:賀毘礼の高峰はどこか」が掲載されてあり,4つの説を詳しく説明している。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 『復刊 新編常陸国誌』中山信名修 栗田寛補 宮崎報恩会 1969 〈当館請求記号 K290.1/13〉
- 『常陸国風土記註釈』有馬徳著 太平洋出版 1973 〈当館請求記号 K290.1/11〉
- 『常陸国風土記の探求』常陸国風土記の探求編集委員会編 市民の古代研究会・関東 1995 〈当館請求記号 K290.1/69〉
- 『訂正常陸風土記』 西野宣明校訂 茨城県歴史館 1974 〈当館請求記号 K290.1/12〉
- 『郷土ひたち 第9号』郷土ひたち文化研究会編 1963 〈当館請求記号 ZK/12/1-12〉
- 『常陽藝文 第95号』常陽藝文センター編 常陽藝文センター 1991 〈当館請求記号 ZK/101/91〉
- キーワード
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- 常陸国風土記
- 賀毗禮の高峰
- 久慈郡(茨城県)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000088195