レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年11月29日
- 登録日時
- 2020/11/29 17:25
- 更新日時
- 2023/05/02 14:55
- 管理番号
- 青梅2011-004
- 質問
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解決
青梅鉄道が青梅駅までしか開通していなかった明治30年頃、御岳山へ参詣するためには青梅駅から徒歩で行ったと考えられますが、その他に何か交通手段があったのでしょうか?
明治30年頃の御嶽参詣の具体的様子を記した書物等あればご教示ください。
- 回答
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書名後ろの()内数字は当館請求記号。詳しい書誌情報は参考文献を参照のこと。
・明治30年頃の青梅駅から御岳山への徒歩以外の交通手段について
【1】『青梅市史 下巻』増補改訂(L213.6/00)
p.265「近代以降の交通・運輸・通信」を確認したところ、明治30年までに青梅から御岳まで定期運行していた交通機関の記録はありませんでした。ただ、人力車が明治11年以前から青梅や周辺の村に存在していたようで、裕福な家や医者が利用していたようだという記述があります(p.296-298)。
・御嶽参詣の当時の具体的な様子を記した文献について明治30年前後2~3年の記録は見つかりませんでしたが、明治時代に書かれた青梅から御岳までの具体的な交通手段を含む観光目的の御岳参詣記録・案内として以下の資料がありましたのでご紹介します。
【2】アーネスト・サトウ/著『日本旅行日記 1』(東洋文庫)(291.0)
※青梅鉄道開通前の明治18年の記録
p.176上段「十一時十分過ぎに払沢に着く。ちょうど上沢井の反対側にあって高橋という橋に近い小さな集落だ。
(中略)青梅からここまでは容易に男二人が引く俥を利用できたが、この先は馬か駕籠が必要であろう。」
【3】アーネスト・サトウ/編著『明治日本旅行案内 中巻 ルート編 1』(291.0/サ2)
※青梅鉄道開通前の記録
p.347「ルート18 東京から多摩川(青梅街道)を経て甲府へ」に、青梅から御岳山麓に行くための
複数の経路と移動手段が挙げられていて、「(御岳山麓付近の払沢まで「俥」の通行が可能)」、
「青梅から払沢までは徒歩で二時間と算定され、さらに一時間半の登山を要する。」という記述が見られます。
【4】大町桂月/著者代表『多摩の山と水 上』(多摩ふるさと叢書)(L291.3/59)
※「西多摩めぐり」文末に「明治三十八年九月稿」
「青梅遊覧案内」中の「西多摩めぐり」(p.16~)に青梅駅から御岳山まで徒歩で向かう様子が記されています。
また、p.25に「御嶽山へ 青梅から三里半(人力車麓まで)(後略)」とあります。
なお、文中に「つい近頃までは、麓へ乗合馬車が通ったんですが(後略)」という記述がありますが、
『青梅市史 下巻』によると青梅~御岳を走る乗合馬車の運行が開始されたのは明治33年から(p.301)とのことです。
(2020.12.06追記)
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開)に以下の資料がありました。
三崎民樹(中岳逸士)『武州御嶽山』御岳神社社務所 1912.3
(URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764376)
青梅駅から御岳山のふもとまで人力車の往復があると書いてあります(p.3-4)。
- 回答プロセス
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『青梅市史 下巻』(L213.6/00)によると、明治11年以前から人力車が青梅にあったことが分かった。
また、『青梅市史 下巻』には吉野まわり青梅~御岳(中野)間に明治33年から39年まで1日3往復の乗合馬車が開通していたことと、当時のことを知る人の話や詩人大木惇夫の乗合馬車の詩も載っていたが、明治30年より後の話なので時期が合わない。
御岳山関係資料に手掛かりがないか探す。
『武州御嶽山信仰史の研究』(L163.1/05)、『古文書に見る武州御嶽山の歴史』(L175.9/05)に直接の記述はなかったが、『古文書に見る武州御嶽山の歴史』p.128「御岳に来た明治の外国人」に、アーネスト・サトウが御岳に立ち寄ったときの様子が『日本旅行記』に記されているという一文を発見した。
『日本旅行記』と、アーネスト・サトウがまとめた『明治日本旅行案内』を確認したところ、
『日本旅行記』に青梅鉄道開通時期より前の話だったが青梅から御岳山のふもとまで人力車を使ったという
記述があり、『明治日本旅行記』にも同様の記述があった。
ブラウジング等で発見した以下の資料も当たった。
大町桂月/著者代表『多摩の山と水 上』(多摩ふるさと叢書)(L291.3/59)
青梅線を軽便鉄道から普通鉄道に改築した記念に青梅鉄道が発行した「青梅遊覧案内」が収録されていた。
そのなかの「西多摩めぐり」に青梅駅から御岳山まで徒歩で向かう様子と、
人力車がふもとまで行く記述があった。
中西慶爾『青梅街道』木次社(L291.3/09)
「武州御岳神社」(p.186)古老の話として「今の神代橋の少し上流に神代万年橋という橋があって、
明治の半ばごろまでの御岳詣りの道者は、みなこの橋を渡って~」という記述があるが、
青梅駅からのルートとは明記されていなかったため今回は紹介せず。
『青梅街道 歴史の道調査報告書 第3集』(L682.1/09)
p.65-67に、旧青梅村から旧沢井村までの古い青梅街道の道筋と、御岳山・御嶽神社の参詣者が
青梅街道からそれて神代万年橋を渡って旧吉野街道を通っていくことが多かったという記述があった。
交通手段に関する記述がなかったので今回は紹介せず。
- 事前調査事項
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青梅鉄道の開通と、御嶽までの延伸の時期を『青梅市史 下巻』(L213.6/00)で確認する。
p.277~「青梅鉄道」より
明治27年11月19日 立川-青梅間が開通
明治31年3月10日 日向和田駅が旅客一般貨物取扱開始(日向和田駅は明治28年12月15日石灰専用駅として現日向和田保育園の位置に開業)
(中略)
昭和4年9月1日 御岳、沢井、軍畑、三駅開業
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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- 【1】青梅市史編さん委員会/編集. 『青梅市史 下巻』 増補改訂. 青梅市, 1995. (当館請求記号 L213.6/00, 当館資料番号 0102712304)
- 【2】アーネスト・サトウ/[著],庄田 元男/訳. 『日本旅行日記 1』. 平凡社, 1992.01. (東洋文庫) , ISBN 4-582-80544-2 (当館請求記号 291.0/サ1, 当館資料番号 0101446342)
- 【3】アーネスト・サトウ/編著,庄田 元男/訳. 『明治日本旅行案内 中巻 ルート編 1』. 平凡社, 1996.11. , ISBN 4-582-82902-3 (当館請求記号 291.0/サ2, 当館資料番号 0101896520)
- 【4】大町 桂月/著者代表. 『多摩の山と水 上』. 八潮書店, 1982. (当館請求記号 L291.3/59, 当館資料番号 2900776911)
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三崎民樹 (中岳逸士) 著 , 三崎, 民樹.『武州御岳山』. 御岳神社社務所, 1912. 国立国会図書館書誌ID
000000426144 当館未所蔵
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000426144-00 (※こちらの資料は以下のURLから全ページ確認できます
国立国会図書館デジタルコレクションURL
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764376)
- キーワード
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- 青梅
- 沢井地区
- 御岳山
- 明治時代
- 人力車
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- URLの最終確認日はすべて2023.4.10
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000289977