レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1997/08/31
- 登録日時
- 2010/10/28 02:02
- 更新日時
- 2010/11/25 02:02
- 管理番号
- 新県図-01023
- 質問
-
解決
奈良県生駒山宝山寺の獅子閣を建てた棟梁「吉村松太郎」は新潟県蒲原郷の出身というが、その出身地および子孫について知りたい。
- 回答
-
当館所蔵の資料には、「吉村松太郎」の関係文献は見つかりませんでした。
新潟県関係の人名辞典にありました吉村姓の人物は、以下のとおりです。
新潟県蒲原郷の出身であるならば、(1)~(3)の人物が関係しているかもしれません。ご参考までに紹介いたします。
なお、調査済みの資料『獅子閣の概説』(生駒山宝山寺)に、「松太郎は・・・山内の一隅に小いさな住いを建て、国から妻を呼び寄せて、夫婦共々無報酬で寺の仕事に励み、当山で一生を終えております。」とあるので、子孫が新潟県にいるとは必ずしも言えないようです。
(1)吉村渓斎(ヨシムラ ケイサイ)
『越佐書画名鑑』(荒木常能編著 新潟県美術商組合 1993)p37「生没年不詳。明治はじめころ、蒲原郡今町新田の・・・寺子屋で、句読師(教師)として・・・教えていた。」
(2)吉村南山(ヨシムラ ナンザン)
『越佐人名辞書』(村島靖雄編 歴史図書社 1974)p673「会津藩士。名は寛泰・・・通称吉右衛門、南山は其の号。初め文学を以て擢用せられたが後東蒲原郡津川代官所の役人となり・・・没年は不詳だが天保七年には六十八歳であつた。」
(3)吉村昭暇(ヨシムラ ショウカ)
『越佐人物誌 中巻』(牧田利平編 野島出版 1972)p1031「中野の人で名は伝右衛門といい俳句をよくした。弘化(一八四四~四七年)ころの人である。」
(4)吉村権左衛門(ヨシムラ ゴンザエモン)
『越佐人物誌 補遺編』(牧田利平編 野島出版 1974)p201「桑名藩家老。・・・権左衛門は柏崎にいた藩士の大部分が恭順派である首領と目されていた。藩主[松平]定敬は・・・権左衛門を閏四月三日夜、暗殺させた。四十八才であった。」
(5)吉村市左衛門(ヨシムラ イチザエモン)
『越佐人物誌 中巻』(牧田利平編 野島出版 1972)p1031「東頚城郡安塚町和田の人で天保九年(一八三八年)に生まれた。・・・[明治]三十五年三月十一日に五十七才でなくなった。」
(6)吉村弥曽左衛門(ヨシムラ ヤソザエモン)
『越佐人物誌 中巻』(牧田利平編 野島出版 1972)p1032「東頚城郡安塚町和田の人である。安政三年(一八五六年)から明治三年(一九七○年)までの間、子弟を集めて教えた。生徒は四十人であった。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 伝記 (280 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 吉村松太郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 簡易な事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000072833