レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年11月25日
- 登録日時
- 2019/05/10 15:51
- 更新日時
- 2019/09/05 14:45
- 管理番号
- 埼久-2019-017
- 質問
-
未解決
加須市に居住する田辺氏の祖先について調べている。以下、1-3の山内上杉氏(関東管領)の家臣団の中に田辺姓(丹波田辺系)があるかどうかを知りたい。
1 鎌倉に下向した上杉重房(うえすぎ しげふさ)(宗尊親王)鎌倉6代将軍に随行
2 初代関東管領上杉憲顕(うえすぎ のりあき)(山内上杉)1363年
3 18代関東管領上杉憲政(うえすぎ のりまさ)(山内没落)1552年
- 回答
-
上杉重房、上杉憲顕、上杉憲政の家臣団の中に田辺氏についての記述は確認できなかった。
- 回答プロセス
-
1 上杉氏について調べる。
『地方別・日本の名族 4 関東編』(オメガ社編 新人物往来社 1989)
p199-245 上杉氏(湯山学)
p201 上杉重房についての記述あり。
p206-215 山内上杉氏
p233-245 上杉氏系図
『埼玉大百科事典 1』(埼玉新聞社 1974)
p167 上杉重房についての記述あり。
p168 上杉家略系あり。
p169-170 上杉憲顕、上杉憲政についての記述あり。
『加須市史 通史編』(加須市史編さん室編 加須市 1981)
p174 上杉憲政についての記述あり。
p388「(四)寺ヶ谷戸村新田の開発」に田辺姓の記述あり。
「当地の開発は羽生領代官の大河内金兵衛久綱の命により元和七年(1621)に着手されたと伝えられている。佐左衛門は志多見村の名手田辺久右衛門と仁兵衛を中心に、同村の農民たちを労働力として開発をすすめ三年後にようやく完成したといわれている。」とあり。
『埼玉叢書 第2巻』(稲村坦元[ほか]編 国書刊行会 1970)
深谷上杉系図あり。
『上杉氏年表 為景・謙信・景勝』(池享[ほか]編 高志書院 2007)
p87 上杉憲政についての記述あり。
『湯山学中世史論集1 関東上杉氏の研究』(湯山学著 岩田書院 2009)
p55-74「上杉憲政と足利長尾氏-河越合戦を中心に-」
田辺姓についての記述なし。
2 志多見村(現加須市)に関する資料を調べる。
『加須市諸家所蔵文書目録 III』(加須市史編さん室 1985)
p50-51「田辺徹次家文書」
『加須市史 別編 人物誌』(加須市史編さん室編 加須市 1984)
「田辺」姓はp292の「田辺喜太郎」のみ。
3 田辺を調べる。
『吾妻鏡 現代語訳 6 富士の巻狩』(五味文彦[ほか]編 吉川弘文館 2009)
p60-61「建久五年十月 二十五日 (中略) これは故鎌田兵衛尉正清の息女が修したものである。(中略)丹波国田名部両庄の地頭職を恩賞として補任されたという。」
p202「田名部庄 丹波国は丹後国の誤記。丹後国加佐郡。現京都舞鶴市一帯。」
(注)田辺の字は「田名部」
『日本歴史大辞典 別巻2 日本歴史地図』(日本歴史大辞典編集委員会編 河出書房 1974)
第18図 田名部庄(鎌田)
『角川日本地名大辞典 26 〔1〕 京都府』(角川書店 1982)
p912「たなべ 田辺(舞鶴市)」
「〔中世〕田辺郷 鎌倉期-戦国期に見える郷名。加佐郡のうち。「吾妻鏡」建久5年10月21日条には(略)丹波国田名部荘とは当郷のことであろう(後略)」
4 田辺姓を調べる。
『埼玉苗字辞典 第3巻(ス-ノ)』(茂木和平著 茂木和平 2007)
p5033 田辺項
「一 忍・川越班松平伊豆守信綱(大河内)家臣」とはあるが、それ以前の記述なし。
「一五 同郡広川村(加須市) 志多見村の松村佐左衛門は、寛永二年に広川村に田辺久右衛門・松村庄助を移住させて開墾す。松村条参照。名村渋井家譜に「礒豊前義直(羽生城主木戸伊豆守家老)-源左衛門-市右衛門-女子(上広川村名主田辺兵左衛門妻)、其子田辺三郎兵衛と弥三兵衛の二人あり」。」とあり。
5 自館目録で〈関東管領〉を検索する。
『関東管領・上杉一族』(七宮〔ケイ〕三編 新人物往来社 2002)
『埼玉県通史 第3巻』(稲村坦元著 歴史図書社 1978)
(注)昭和6年(奈良・平安時代)、昭和8年(鎌倉時代)、昭和9年(関東管領時代)に著者が「埼玉県史」として執筆したものの複製。
『埼玉県史研究 第22号』(埼玉県県民部県史編さん室編 埼玉県 1988)
以上3点、家臣団について一覧になっている資料なし。
6 《国会図書館レファレンス協同データベース》(https://crd.ndl.go.jp/reference/ 国会図書館)を〈関東管領〉で検索する。
類似の質問事例なし。
7 埼玉資料分類〈288.1〉の棚を確認する。
『越後上杉一族』(花ケ前盛明著 新人物往来社 2005)
p25-40「第ニ章 上杉憲顕と南北朝の動乱」
p41-53「第三章 越後上杉氏と関東管領上杉氏」
「田辺」姓についての記述なし。
8 《Google ブックス》(http://books.google.co.jp/ Google)を〈関東管領上杉 & 田辺氏〉で検索する。
『加須市の郷土史』(加須市郷土史編纂委員会編 加須市 1969)
p64「志多見の田辺氏の祖は、丹後に移って田辺荘を領有したという。一説には石田三成に、夜攻めされたたといい、また管領上杉氏に使われたともいわれ、いずれにしても室町末期の乱世の落武者であると見られ、松村氏と共に開墾事業を積極的に行い、分家として戸川に土着し名主となって民政を行ったのである。田辺氏の子孫は現在加須駅通りにあり、戸川にも開墾者の子孫が農業を経営している。」
9 《Google》を〈山内上杉氏 & 家臣〉で検索する。
《ウィキペディア》「山内憲政」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%86%B2%E6%94%BF ウィキメディア財団)
「関東諸国の諸将を糾合して大軍を編成するが、この時に景虎の傘下に集まった諸将を記した『関東幕注文』という史料がある。ただし、景虎をあくまで 「憲政の名代」とする史料があるため、幕注文に記された諸将は関東管領である上杉憲政の名の下に参集・連合した可能性も指摘されている。」
10 9の情報にある「関東幕注文」を確認する。
(1)《国会図書館サーチ》(https://iss.ndl.go.jp/ 国会図書館)を〈関東幕注文〉で検索する。
《国会図書館デジタルコレクション》『新編埼玉県史 資料編 8 (中世 4 記録 2) 本編』(埼玉県編 埼玉県 1986) p628-643「関東幕注文」の項(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9643716)327-334コマ 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開
田辺姓についの記述なし。
〈その他確認済み資料〉
『上杉憲政文書の研究 とくに花押を中心にして』(冨田勝治著 群馬県 1980)
『深谷上杉氏の歴史』(深谷上杉顕彰会 1986)
『深谷上杉家八代記』(大澤成四郎 1992)
『深谷上杉氏史料集』(深谷上杉顕彰会編 深谷市 1996)
『深谷中世文書集 第2集』(深谷上杉・郷土史研究会 2016)
『上杉家御年譜 第23巻 上杉氏系図』(米沢温故会編纂 米沢温故会 1988)
『戦国期山内上杉氏の研究 中世史研究叢書24』(黒田基樹著 岩田書院 2013)
『戦国大名家臣団事典 東国編』(山本大[ほか]編 新人物往来社 1981)
『上杉憲政 戦国末期、悲劇の関東管領 中世武士選書 第34巻』(久保田順一著 戎光祥出版 2016)
『上杉憲顕 中世武士選書 第13巻』(久保田順一著 戎光祥出版 2012)
『足利基氏とその時代 関東足利氏の歴史 第1巻』(黒田基樹編 戎光祥出版 2013)
『足利氏満とその時代 関東足利氏の歴史 第2巻』(黒田基樹編著 戎光祥出版 2014)
『上杉史料集 上・中・下』(井上鋭夫校注 新人物往来社 1969)
『志多見村の歩み』(松村勝講述 志多見公民館 1950)
『埼玉の苗字 名前風土記 さきたま双書』(大沢俊吉著 さきたま出版会 1983)
『姓氏4000歴史伝説事典』(志村有弘編 勉誠出版 2008)
『日本姓氏大辞典 解説編』(丹羽基二[ほか]著 角川書店 1985)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年11月25日。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 上杉重房(ウエスギ シゲフサ)
- 上杉憲顕(ウエスギ ノリアキ)
- 上杉憲政(ウエスギ ノリマサ)
- 加須市(埼玉県)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000255925