レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/09/09
- 登録日時
- 2010/01/24 02:10
- 更新日時
- 2010/01/26 13:03
- 管理番号
- 埼浦-2009-048
- 質問
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未解決
足立遠元の娘で畠山重忠に嫁いだ娘の名前を知りたい。もしわかれば他の娘の名前も知りたい。
- 回答
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調査した範囲では「女」として記述が見られるものの、名前がわかる資料を見つけることはできなかった。
- 回答プロセス
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『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会 埼玉県 1998)
p20「足立遠元」あり。娘については記述なし。
p644「畠山重忠」あり。「妻は足立遠元の娘(重秀の母)」とあるが名前はなし。
『埼玉叢書 4』(稲村坦元 国書刊行会 1971)
p478「足立氏系譜」あり。「女(畠山次郎平重忠妻他六郎重保小次郎重末等母)」 「女」とあるが名前はなし。もう一人の娘についても名前はなし。
『新編埼玉県史 通史編2 中世』(埼玉県 1988)
p111「畠山氏と関係氏族略系図」あり。「女」とあり。名前はなし。
『新編埼玉県史 別編4 年表・系図』(埼玉県 1991)
p70「足立系図」に、遠元の娘についてあるが、「女」としか記述がない。「女 畠山次郎平重忠妻也、六郎重保小次郎重末等母也」ともう一人あり。
『大宮市史 2 古代・中世編』(大宮市 1971)
p235-243「足立氏」の項、p242に、畠山重忠に嫁いだ足立遠元の娘に関して、「遠元の娘は、畠山重忠に嫁して小次郎重秀の母となっている(吾妻鏡元久2年6月22日条)」との記述はあるが名前はなし。北条時政に嫁いだ娘についても記述はあるが、名前はなし。
『川口市史 通史編 上巻』(川口市 1988)
p154-足立遠元について記述があり、「足立系図」を中心にした記述はあるが、娘の名前は記述なし。
『桶川市史 1 通史編』(桶川市 1990)
p186 「足立氏系図」あり。「女子」とあり。名前はなし。
『川本町史 通史編』(川本町 1989)
p169-186「畠山重忠」の節あり。名前の記述なし。
p171「畠山及び同族略系図」あり。「女」とあり。名前はなし。
『畠山重忠公』(畠山重忠公史蹟保存会 1979)
p10-11「子孫」の項、遠元の娘の記述はあるが、名前はなし。
『畠山重忠公』(畠山重忠公史蹟保存会 1977)
p104「畠山重忠夫人」の項には、名前の記述なし。
『畠山重忠公の血脈』(宮之原研 1988)
p287-288「重忠の夫人たち」の項に、「(前略)次に、重忠の夫人といわれている方は、足立遠元(剣術師範か)の娘である。この方は重忠とともに出陣して二俣川で戦死した重秀の母であると『吾妻鏡』にのっているので確実だろう。」とあり。「娘」だけで名前はなし。巻末に略年表があるが、足立遠元の娘といつ結婚したかは記述なし。
『畠山重忠辞典』(川本町教育委員会 2004)
p17「菊の前」の項あり。「重忠の内室と伝えられ(以下略)」とあり。遠元との関係は不明。
p37「畠山重忠室1」に「足立遠元の娘。重秀の母。」とあり、名前の記載はない。
『畠山重忠』(畑やわら 1977)
p81「駕籠塚(かごづか)」に「(前略)なお自害したのは内室の『菊の前』であるとされている」とあり。遠元の娘との関係は不明。
『畠山重忠 人物叢書 新装版』(貫達人 吉川弘文館 1987)
p175「しのぶよすが」の章、「重忠の妻妾でわかっているのは、北条時政のむすめと足立遠元のむすめである。」とあり。
『武蔵の武士団』(安田元久 有隣堂 1984)
p98「足立遠元とその一族」の章に「足立家系図」あり。「女子(畠山重忠妻)」と「女子(北条時房妻)」の二人の足立遠元の娘が載っているが、名前はなし。
『埼玉苗字辞典 4(ハ-ワ)』(茂木和平 2008)
p6343「畠山」の項、〈重秀〉の記述に「母足立右馬允遠元女」とあるのみ。
『日本女性人名辞典』(日本図書センター 1993)
〈畠山〉〈足立〉にはそれらしき名はなし。
『系図纂要 8』(名著出版 1974)
p145畠山重忠、重秀はあるが、妻・母の名前はなし。
『系図纂要 3』(名著出版 1973)
p92安達遠基の女は二位俊光母。
『国史大系 尊卑分脈』(吉川弘文館 1966)
p288「魚名公孫」の流れに「遠基」「遠元」の名あり。子に女子とあるが、名前はなし。
『吾妻鏡人名総覧』(安田元久 吉川弘文館 1988)
p219「重秀 畠山」に、「初出 元久2.6.22」「通称官職名等 小次郎」「畠山重忠二男 母は足立遠元女(吾妻鏡典拠)」とあり。
『全訳吾妻鏡 3』(貴志正造 新人物往来社 1977)
「吾妻鏡第十八」内p115「元久二年六月」に「小次郎重忠年廿三、母は右衛門尉遠元が女」とあり。名前はなし。
『鎌倉・室町人名事典』(安田元久 新人物往来社 1985)
p41「足立遠元」の項、「(前略)その女二人は畠山重忠・北条時房に嫁した」とあり。
金沢正大「鎌倉幕府成立期に於ける武蔵国国衙支配をめぐる公文所寄人足立右馬允遠元の史的意義(上)」(『政治経済史学 第156号』p13-21 日本政治経済史学研究所)
足立遠元をめぐる系譜についての記述はあるが、娘の名前はなし。
金沢正大「鎌倉幕府成立期に於ける武蔵国国衙支配をめぐる公文所寄人足立右馬允遠元の史的意義(下)」(『政治経済史学 第157号』p46-55 日本政治経済史学研究所)
(上)からの註に、遠元の娘の名について参考になりそうな資料なし。
『埼玉関係人物文献索引データベース』
〈足立遠元〉〈畠山重忠〉で検索した結果の該当資料に、遠元の娘の名は出てこない。
その他の調査済み資料は以下のとおり。
『埼玉大百科事典 1』(埼玉新聞社 1974)『与野市史調査報告書 5』(与野市企画部市史編さん室 与野市 1983)『吾妻鏡総索引』(及川大渓 日本学術振興会 1975)『日本中世史事典』(阿部猛 朝倉書店 2008)『畠山重忠 (人物叢書92)』(日本歴史学会 吉川弘文館 1962)『日本武将列伝 1 源平鎌倉編』(桑田忠親 秋田書店 1984)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 足立 遠元(アダチ トオモト)
- 足立氏(アダチシ)
- 畠山 重忠(ハタケヤマ シゲタダ)
- 畠山氏(ハタケヤマシ)
- 埼玉県-武蔵国-鎌倉時代-歴史
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000062298