レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/04/12
- 登録日時
- 2008/12/11 02:10
- 更新日時
- 2009/12/02 10:26
- 管理番号
- 埼久-2008-006
- 質問
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解決
1940年代の金属回収の時期に供出された埼玉県の銅像にはどのようなものがあるか。また代用品として陶製やコンクリートなどによる像が造られた記録はあるか。
- 回答
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以下の資料に該当の記述あり。
『新編埼玉県史 通史編6 近代』p1080-1081に金属の供出に関する記述、二宮尊徳像、楠公像の写真掲載あり。
『入間市史 通史編』p922に衆議院議長粕谷義三の銅像が撤去された、との記述あり。
『越谷市史 2 通史・下』p692に金属の回収は二宮尊徳像などの銅像をはじめ街路灯、橋梁、火の見櫓にまで及んだ、とあり。
『与野市史 通史・下』p838に与野国民学校の鉄のとびらや二宮金次郎の銅像などが供出されたとの記述あり。
『小鹿野町誌』p1270-1271に小学校庭にある銅像や各校の記念像等が供出され、二宮尊徳像等の送別会を行ったとの記述あり。昭和19年の金属供出壮行会の写真掲載あり。
『企画展「戦争で失われた文化財」展示図録』「Ⅰ金属回収と文化財の供出」と題した展示解説図版に、金属類特別回収ポスター、金属類、刀剣、銅鐘及び代用品としてのコンクリート製燭台・花瓶、陶製香炉の写真は掲載されているが、銅像はなし。p47-49に「埼玉県内で戦時中供出された文化財」の一覧表あり。長瀞町旧白鳥小学校の二宮尊徳像が供出された記録あり。
『偉人の俤(おもかげ)』 戦前に制作された銅像の写真と解説文あり。埼玉県内の銅像としてp54「東郷平八郎銅像」(入間郡吾野村)、p89「發智庄平銅像」(入間郡霞ヶ関村)、p110「フォール銅像」(入間郡所沢町)、p110「木村鈴四郎・徳田金一銅像」、p119「中村孫兵衛銅像」(大里郡熊谷町)の掲載あり。ただし、供出の事実についてに記述なし。
東郷平八郎銅像(入間郡吾野村)に関しては、『日本の心 銅像は生きている』(杉田幸三 永田書房 1971)p423に埼玉県飯能市の東郷像を供出から救った旨の記述がある。
- 回答プロセス
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銅像の記述、写真のあった資料
『新編埼玉県史 通史編6 近代』(埼玉県 1989)
『入間市史 通史編』(入間市 1994)
『越谷市史 2 通史・下』(越谷市 1977) 写真なし
『与野市史 通史・下』(与野市 1988) 写真なし
『吉田町史』(吉田町教育委員会 吉田町 1982)
『小鹿野町誌』(小鹿野町誌編集委員会 小鹿野町 1976)
『目でみる埼玉百年 埼玉百年記念誌』(埼玉県 埼玉県 1971)
『企画展「戦争で失われた文化財」展示図録』(埼玉県平和資料館 埼玉県平和資料館 1994)
『銅像に見る日本の歴史』(前田重夫 創栄出版 2000)
『ふるさとのこころ 銅像』(おりじん書房 1990)
『偉人の俤』(1928)
『彫刻 日本史小百科 21』(久野健 近藤出版社 1985)
『日本の心 銅像は生きている』(杉田幸三 永田書房 1971)
『川越の人物誌 1』(川越の人物誌編集委員会 川越市教育委員会 1983)
*その他確認済み資料
『全国戦災史実調査報告書 平成9年度 金属等の回収・供出に関する記録』(日本戦災遺族会 1998)
『埼玉の文化財 14』(埼玉県文化財保護協会 埼玉県文化財保護協会 1974)
『講座日本美術史 6 美術を支えるもの』(東京大学出版会 2005)
埼玉県内市町村史(通史編)浦和市、川口市、熊谷市、久喜市、春日部市、など50市町村。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 金属彫刻.鋳造 (715 9版)
- 参考資料
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- 『新編埼玉県史 通史編6 近代』(埼玉県 1989)
- 『入間市史 通史編』(入間市 1994)
- 『越谷市史 2 通史・下』(越谷市 1977)
- 『与野市史 通史・下』(与野市 1988)
- 『小鹿野町誌』(小鹿野町誌編集委員会 小鹿野町 1976)
- 『企画展「戦争で失われた文化財」展示図録』(埼玉県平和資料館 埼玉県平和資料館 1994)
- 『偉人の俤(おもかげ)』(二六新報社 1928)
- 『日本の心 銅像は生きている』(杉田幸三 永田書房 1971)
- キーワード
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- 金属回収-戦史
- 銅像
- 埼玉県-昭和時代-太平洋戦争
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 定番事例-参考資料-新編埼玉県史-解決
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000049613