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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼浦-2006-192
事例作成日
(Creation date)
2006/07/21登録日時
(Registration date)
2007年02月03日 02時10分更新日時
(Last update)
2008年05月28日 16時54分
質問
(Question)
深谷(フカヤ)市上野台にある茶売街道について知りたい。名前の由来、いつごろから茶売街道と呼ばれているのかなど。
回答
(Answer)
『藤澤村誌』(藤沢公民館 1961)を紹介する。p18、233、285に記述あり。
戦国末期、この地方の領主だった秋元長朝により作られた産業道路で、藤沢方面で産する緑茶が本庄、群馬方面に盛んに移出され、その商品が多くこの道路を利用して運搬されたため茶売街道と呼ばれている。
なお、現在の「茶売り街道」という名称は、深谷市が昭和55~56年に付けた愛称(『埼玉新聞1981.10.4 7面』)で、古来の「茶売街道」と道筋が一致するかどうかの確認はできず。
回答プロセス
(Answering process)
『深谷市史』など関係する資料を調査し、『藤澤村誌』に記述があり紹介。

『藤澤村誌』(藤沢公民館 1961)
p18 「上野台のほぼ中央を東から西に貫く一本道路は、かつて戦国の末期この地方の領主であった、秋元長朝により作られた産業道路で、・・・(中略)・・・同時に藤沢方面で産する緑茶が、本庄、群馬方面に盛んに移出されたが、その商品が多くこの道路を利用して運搬されたため茶売街道の別名もある。」
p233 「中世末期に秋元氏が上野金燈籠山に陣屋を立て、現在の上野三宿を基として都市計画を樹立し、上野小台、大台から字鼠に通ずる産業道路をつくり、これを中心として農地の開発を進めたことは有名である。」
p285 「いわゆる茶売街道(新道)も古くは鎌倉街道と称えしことが県史にも見られ、また出地の人たちも呼んでいる。」との記述がある。

『鎌倉街道上道』(埼玉県教育委員会 1983)によれば、脇道が付近を通過していると思われるものの、「茶売り街道」と一致するような記述は確認はできず(p66-67)。
現在の「茶売り街道」という名称は、深谷市が昭和55~56年に付けた愛称で、古来の「茶売街道」と道筋が一致するかの確認はできず。
  
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
関東地方  (213 9版)
交通史.事情  (682 9版)
貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション  (090 9版)
参考資料
(Reference materials)
『藤澤村誌』(藤沢公民館 1961)
キーワード
(Keywords)
深谷市-埼玉県-歴史
街道-交通史
郷土資料
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000033083解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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