レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年02月06日
- 登録日時
- 2013/11/14 10:34
- 更新日時
- 2013/11/14 11:14
- 管理番号
- 千県中千葉-2013-16
- 質問
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解決
千葉県における 訓盲院創設者の生没年、出身地、経歴が知りたい。
・木更津訓盲院 大野三五郎
・千葉訓盲院 飛田良吉(ひだりょうきち)
- 回答
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木更津訓盲院 大野三五郎については、生没年が書かれた資料はみつかりませんでしたが、『西上総文化会報』【資料1】p21-23鳥飼秀雄「木更津訓盲院考」、『六十年の歩み』【資料2】の中のp49-50「木更津訓盲院」に記載されている内容をまとめると次のような経歴です。
生年月日:不詳
没年月日:不詳
出 身 地:君津郡真舟村請西(現木更津市)
経 歴:明治時代真舟の資産家で請西に農を専業とした名家山川家に生まれ、同じく真舟屈指の資産家で請西の村長をつとめた家柄の大野家に養子に入った。
東京法学校に学んだがソコヒを病み20才頃視力を失う。その後東京盲学校に学んだ。
灸師の資格を得たが、開業はしていない。
明治38年 鈴木慶信と木更津訓盲院設立。
明治44年6月 町の経営に移管。
木更津訓盲院の初代院長は当時の町長香々見儀助で、この後歴代の町長が院長に就任。
大野三五郎は点字、生理、解剖などの理論科目を教えた。
昭和4,5年以降 入学者がないため木更津訓盲院、廃校。
千葉訓盲院 飛田良吉については、『新たな世紀を歴史に刻め 創立100周年記念誌』【資料3】p25-28「本校創設者 飛田良吉の足跡」から次のようなことが分かります。
生年月日:安政3年1月13日 (『房総人名辞書』では安政5年9月)
没年月日:昭和6年5月10日(享年75)
出 身 地:市原郡吉沢村(現市原市)
経 歴:
明治8年4月~12年 小学校教育に従事。その後県立千葉医学校(現千葉大学医学部)入学。
明治17年県立千葉医学校卒。県立千葉病院司療医となり産婦人科で活躍。
明治24年 私立北辰病院開業。
明治30年4月 千葉看護婦教習所創設。
明治32年 千葉県会議員初当選(憲政党・36年まで一期在職)。
明治33年 千葉訓盲会を組織。盲人を対象とする不定期の講習会開催。
明治41年 常設の私塾鍼按講習所となり、武本為訓らと生理、解剖の初歩を講義。
明治43年 千葉訓盲院創設、院長就任。
その他調査文献:
『六十年の歩み』【資料2】p31-40「千葉県の状況」
『千葉県議会史 議員名鑑』【資料4】p694「飛田良吉」
『房総町村と人物』【資料5】p95-96「飛田良吉」
『房総人名辞書』【資料6】p546-547「ひだりやうきち(飛田良吉)」
『日本博覧図』【資料7】「北辰病院 飛田良吉」(千葉県立中央博物館 デジタルミュージアム)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 障害児教育[特別支援教育] (378 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『西上総文化会報』通巻41号(西上総文化会 1985)|0501216369;
- 【資料2】『六十年の歩み』(千葉県立千葉盲学校 1972)|9200101758;
- 【資料3】『新たな世紀を歴史に刻め 創立100周年記念誌』(千葉県立千葉盲学校 2011)|0800017780;
- 【料4】『千葉県議会史 議員名鑑』(千葉県議会 1985)|9200308212;
- 【資料5】『房総町村と人物』(多田屋書店編纂部 能勢鼎三 1918)|9200072496;
- 【資料6】『房総人名辞書』(千葉毎日新聞社 1909)|9200072487;
- 【資料7】『日本博覧図』「北辰病院 飛田良吉」(千葉県立中央博物館 デジタルミュージアム)
- キーワード
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- 千葉訓盲院
- 大野三五郎
- 飛田良吉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000140450