レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/03/11
- 登録日時
- 2008/07/04 02:11
- 更新日時
- 2008/07/23 14:52
- 管理番号
- 埼浦-2007-141
- 質問
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未解決
①『埼玉自治 昭和26年6月号』の巻頭言にある、「入間郡或る村」とはどの村かを知りたい。②この住民投票の内容が分かる資料を見たい。
- 回答
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①「入間郡の或る村」について
埼玉新聞に、地域・時期的に該当すると思われる記事あり。
『埼玉新聞 昭和26年6月17日』 2面
「名細中敷地問題解決 (朗報)〔廿?〕三年来もめにもめてきた入間郡名細村中学校敷地問題は去る十日住民投票により大字小堤字春日田辺と決まり、十五日の定例村議会でも正式に決定(以下略)」とあり。
『埼玉自治 昭和26年6月号』によれば、議会が住民投票によって中学校の位置を決定すると議決したのは「最近のこと」とある。埼玉新聞の記事は、埼玉自治6月号刊行後のことであることが考えられる。
※名細村は現川越市
②住民投票の内容が分かる資料は見あたらず。
以下を回答した。
- 回答プロセス
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入間郡の各市町村史をあたったが、該当する記述は見あたらず。『埼玉県学校大観』には記述なし。
『埼玉新聞』昭和26年4月~6月の記事を確認したところ、6月17日(2面)に「名細中敷地問題解決」と題した記事があり。名細村は現川越市で、地域・時期的に該当すると思われるため、名細村中学校に絞った調査を行う。
『埼玉雑索』を〈名細〉で検索したが、該当する論文なし。
『名細郷土誌』
p90-92「名細中学校」の項より、p91に中学校建設にあたり、その位置を決めるときに問題になった旨の記述があるが、その詳細や住民投票については記述なし。
『川越の歴史散歩 霞ヶ関・名細編』
p159-167「名細地区小学校の沿革」の項より、p166-167に新制中学校の位置決定で問題になった旨の記述あり。これは『川越市史資料 2』の引用。
『川越市史資料 2 川越市・村合併聞き書』
p134-148「名細村」の項より、p136-137の関根初治氏の発言に、中学校の位置問題について触れられているが、住民投票についてはなし。
『川越市史 5 現代編1』
p55-63「六・三制学校事業」、p73-118「川越市大合併」ともに名細村中学校敷地問題については記述なし。
『新編埼玉県史 資料編26 近代・現代8 教育・文化2』
名細村中学校についての記述なし。
『新編埼玉県史 通史編7 現代』
p348-359「六・三制の実施」の項には、名細村中学校についての記述なし。
『埼玉県関係行政文書件名目録 戦中戦後期編3』
p112-123「川越市立図書館行政文書 名細村行政文書」の項より、p122-123「教育」の行政文書を見たが、名細村中学校の敷地問題、住民投票に関する文書はなし。凡例p16の「表3 行政文書分類項目別年別件名数一覧」名細村の教育の文書数によると、昭和22年以降はない。
『埼玉県教育要覧』の昭和25年度、26年度、27年度、28年度には該当する記述なし。
雑誌『いしずえ』(川越市名細地区郷土史勉強会)には該当する記述なし。
川越市立図書館へ問い合わせたところ、名細村関係の行政文書は現在閲覧できる状態になっていないことと、「〔川越市立名細中学校〕創立五十周年記念誌」と『川越市合併史稿』に該当する記述はない、という回答あり。
- 事前調査事項
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①本文に「最近のこと、入間郡の或る村で五箇年にわたる紛争が解決した。」とある。紛争の原因は新制中学校の敷地決定に関わる政争。「入間郡の或る村」の新制中学校の位置が、村議会で最初に決定したのは昭和22年10月だが、一部村民の反対で実現しなかった。昭和26年4月に議会が総改選され、新議会は住民投票によって位置を決定することを議決した、という旨の記述がある。
- NDC
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- 幼児.初等.中等教育 (376 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉新聞 昭和26年6月17日』
- キーワード
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- 川越市-埼玉県-教育-歴史
- 中学校-歴史
- 郷土資料
- 地方自治
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000045514