レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年10月23日
- 登録日時
- 2012/05/06 11:52
- 更新日時
- 2012/12/26 11:07
- 管理番号
- 新県図-01198
- 質問
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解決
『伊勢詣と江戸の旅』p81に引用されている『江戸時代越後農民之旅日記』について。この資料は羽黒山参詣と西国巡礼を扱ったもののようだが、それぞれ別の道中日記なのか知りたい。
- 回答
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『江戸時代越後農民之旅日記』(小須戸古文書研究会/編・発行 1988 当館請求記号:N291/Ko89)のタイトル関連情報に「湯殿山日記」とあるように、羽黒山へも寄ってはいますが湯殿山参詣を目的とした旅です。湯殿山日記、正確には「湯殿山道中記」については、翻刻のみをp300~310に載せています。
西国巡礼と湯殿山参詣とは全く別の旅です。「西国巡礼道中記」は文政6年(1823)4月29日から7月20日まで81日間の旅日記で、鎌倉新田の小柳藤太が記しています。一行は近隣の村々の5名で、村役人層でした。これに対して「湯殿山道中記」は同じ鎌倉新田の小柳家の人が記したにもかかわらず、明治2年(1869)の写本のみが存在し、小柳氏とあるだけで記録者が明らかになっていません。文化8年(1811)7月17日から8月7日まで21日間の記録です。解説では、小柳家の文書より、「西国巡礼道中記」を記録した小柳藤太の先代にあたる6代目藤太が記録したのではないかと推定しています。一行は7人で出発しましたが、出羽三山参拝後、5人と別れ、小柳氏ともう一人は松島まで足を伸ばしてから帰って来ました。
『江戸時代越後農民之旅日記』は322pの図書ですが、p1~281と大半を「西国巡礼道中記」に当てています。上段に道中記そのものの景印を、下段に翻刻を掲載しています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 農民の旅日記
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000105615