レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年3月9日
- 登録日時
- 2021/03/26 18:03
- 更新日時
- 2021/04/14 12:39
- 管理番号
- 県立長野-20-131
- 質問
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島崎藤村が「夜明け前」の中で、明治6年熊本鎮台司令長官交代の際に、谷干城(たに たてき/かんじょう)と桐野利秋(きりの としあき)が対面する場面について書いている。これは『子爵谷干城傳』に詳しいが、この本は昭和10年の発行で、「夜明け前」も同年に連載を開始している。藤村は同じ場面を別の本で読んでいたと思われるが、記載のある資料は刊行されていたか。
- 回答
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『谷干城遺稿』島内登志衛編 靖献社 1912【最終確認2021.3.27】の157コマ目に「第四編 隈山詒謀録 明治元年十二月二日より同六年十月十二日に至る」の最後にあたる。この中に、
「此時桐野の不平は殆と絶頂に達せリ余に対し山縣太輔を罵りて曰く彼れ土百姓等を衆めて人形を作
る果たして何の益あらんやと山縣を罵るは即ち余を罵る者也元来桐野は徴兵を忌み兵は士族に限る
ものと考ふるか如し散々不平を鳴して去れり是れ余か桐野との永別なり」
とある。この資料は『続日本史籍協会叢書』に所収されており、当館では、『谷干城遺稿1』谷干城著 東京大学出版会 1975 【210.08/156-1/6】で所蔵している。
また、『近世名将言行録 第1巻』 近世名将言行録刊行会 編 吉川弘文館 1934 【最終確認2021.3.27】の 204-209コマ 目に「桐野利秋」、 230-238コマ目に「谷干城」がある。「谷干城」の233コマ目に「桐野、徴兵の鎮台兵を罵って曰く、土百姓を集めて人形を作る、果たして何の得る處ぞと。」の記述があった。桐野の項目にはこの件はない。
- 回答プロセス
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1 「夜明け前」の当該箇所を確認する。第2部第13章第4節にあたる。山形有朋の徴兵政策について、桐野がののしる場面である。【最終確認2021.3.27】
2 利用者が提示した『子爵谷干城傳』p.238-239を確認する。参考文献一覧を探すが、そのような様式をとっていないようで、掲載はない。しかし、巻頭にある解題の中で、谷干城関係史料を紹介している。(p.7-8)
・『谷干城遺稿』 靖献社 明治45年【最終確認2021.3.27】
・「谷干城家関係文書」(立教大学蔵)
・「谷干城関係書簡」(立教大学蔵)
・『隈山干城之伝』 石原孫一郎著 明治20年【最終確認2021.3.27】
・『国家干城谷将軍詳伝』 渡辺義方編 文栄堂 明治21年【最終確認2021.3.27】
・『武人典型谷干城』 城南隠士著 金桜堂 明治44年【最終確認2021.3.27】
・『子爵谷干城先生伝』 寺石正路編 海南中学校 昭和5年
3 これらのうち、文書を除き、書籍として書籍として刊行されたものを国立国会図書館デジタルコレクションで確認していく。
4 『谷干城遺稿』 靖献社 明治45年の157コマ目に類似する記述を発見する。
5 当館所蔵資料を「谷干城」「桐野利秋」で検索し、関係する資料を調べる。
6 同様にNDLサーチ、CiNii books、国立国会図書館デジタルコレクションで、「谷干城」「桐野利秋」で検索し、出版年が1934年以前のものを確認していく。
- 事前調査事項
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『子爵谷干城傳』平尾道雄著 象山社 1981(昭和10冨山房・刊の復刻)【289.1/1478】
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
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谷 干城/著 , 谷‖干城. 谷干城遺稿 1. 東京大学出版会, 1975. (続日本史籍協会叢書 ; 第1期)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005598863-00 (【210.08/156-1/6】) -
近世名将言行録刊行会 編. 近世名将言行録 第1巻. 吉川弘文館, 1934.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001656048-00
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谷 干城/著 , 谷‖干城. 谷干城遺稿 1. 東京大学出版会, 1975. (続日本史籍協会叢書 ; 第1期)
- キーワード
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- 谷干城
- 桐野利秋
- 夜明け前
- 島崎藤村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000295842