レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/06/08
- 登録日時
- 2012/01/14 02:01
- 更新日時
- 2015/12/03 12:15
- 管理番号
- 6000004448
- 質問
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解決
豊中市にある服部緑地の歴史を知りたい。
- 回答
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『新修豊中市史 集落・都市』などによると、大阪府営服部緑地は昭和3(1928)年に計画され、昭和26年以降6か年計画で本格的に整備されて誕生した。
- 回答プロセス
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『新修豊中市史第9巻 集落・都市』(豊中市)を調べると、p544-547に大阪府営服部緑地の由来についての要約があり。昭和3(1928)年大阪府綜合計画により約115haの規模の第6号服部公園として計画され、昭和16年に防空緑地として府内の鶴見・久宝寺・大泉緑地とともに用地の買収等が行われるが戦時中に事業が中断、その後昭和24年に事業の再開に至ったとあり。p352「農地解放と服部緑地」には、服部緑地は自作農創設特別措置法の適用を免れ、昭和26年に大阪府の都市計画事業に決定された後6か年計画で本格的な整備が行われ、大阪府営服部緑地が誕生したとあり。またp331には昭和初期の計画についての記載があり。
このほか、『新修豊中市史第2巻 通史2』p272・p493-494には初期の緑地整備の計画について、p551には農地解放の際の府と農民組合の協議についての記載があり。
『日本公園百年史 総論・各論』(第一法規出版)p.585-587にも記載有り。
岡町図書館に大阪府が作成したパンフレット「服部緑地」(発行年不明)有り。所在地、公園事務所住所、追う通期間、開設面積、開設年次、概要、平面図、主要施設、施設使用料、施設の写真が掲載されている。この概要によると、「昭和3年大阪市総合計画の中で服部公園として計画されたのがその最初で、昭和16年に大泉、久宝寺、鶴見と共に大阪都市計画緑地として決定され用地買収等が行なわれたが、本格的に整備拡充されるようになったのは終戦後である。昭和30年5月に競輪場が廃止となり、その跡地を含めて総合運動場の整備に取りかかり現在では陸上競技場、プール、テニスコート、バレーコート、野球場等の運動施設が完備し、総合運動場としての形態を整えた。昭和34年には皇太子殿下御成婚を記念して直径150mの回転大花壇を完成、噴水及びその周辺に咲く花の美しさは本緑地の中心的な施設となっている。」とある。また、「万博関連により御堂筋線が緑地東部に造成されたのに伴ない、東部地区からの利用者の増大を予想し、緑道、植物園、駐車場、噴水広場等の整備をすすめている。」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 造園 (629 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『新修豊中市史 第9巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『新修豊中市史 第2巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『日本公園百年史 総論・各論』日本公園百年史刊行会/編集(日本公園百年史刊行会)
- キーワード
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- 服部緑地(ハットリリョクチ)
- 緑地
- 大阪府
- 豊中市
- 歴史
- 都市計画
- 公園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 中学生 学生
- 登録番号
- 1000099903