レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年02月14日
- 登録日時
- 2020/03/02 00:30
- 更新日時
- 2020/03/14 09:47
- 管理番号
- 秋田-2430
- 質問
-
解決
明治時代の住所で秋田県南秋田郡内川村湯ノ又9は現在の住所のどこにあたるか。
- 回答
-
以下の資料を案内。
『角川日本地名大辞典、5』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編、角川書店、1980、290/カカ/郷)資料番号:129109104
『秋田大百科事典』(秋田魁新報社/編集、秋田魁新報社、1981、031/アア/郷)資料番号:128639218
『日本歴史地名大系、5』(平凡社、1980、290/ヘア/郷)資料番号:129114203
- 回答プロセス
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明治期の湯ノ又の地図の所蔵がないため、番地については確認できず。
以下の資料で“内川湯ノ又”について確認。
下記資料に記載箇所を確認。
『角川日本地名大辞典、5』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編、角川書店、1980、290/カカ/郷)資料番号:129109104
→ P908 南秋田郡五城目町の箇所に、〔成立〕昭和30年(1955)3月31日、五城目町と馬場目・富津内・内川・大川4か村の合併により成立との記載箇所あり。
→ P911 内川湯ノ又の箇所に、〔成立〕昭和30年3月31日〔直前〕内川村大字湯ノ又の記載箇所あり。
『秋田大百科事典』(秋田魁新報社/編集、秋田魁新報社、1981、031/アア/郷)資料番号:128639218
→ P110 内川の箇所に、「旧内川村」現在は南秋田郡五城目町の北部に位置。1889年(明治22年)浅見内、湯ノ又、黒土、小倉の四か村が合併し内川村となり、1955年(昭和30年)五城目町、馬場目、富津内、大川の三村と合併、五城目町となったとの記載あり。
『日本歴史地名大系、5』(平凡社、1980、290/ヘア/郷)資料番号:129114203
→ P452 五城目町の箇所に、明治22年(1889年)町村制施行により五十目村・馬場目村・馬川村・富津内村・内川村・面潟村・大川村が成立。同29年、五十目村は町政をしいて五城目町となり、昭和17年(1942年)隣接する馬川村を合した。同30年、五城目町は馬場目村・富津内村・内川村・大川村四村を合併。同33年、面潟村の一部を編入したとの記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 総記 (0)
- 参考資料
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- 角川日本地名大辞典5「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編角川書店
- 秋田大百科事典秋田魁新報社/編集秋田魁新報社
- 日本歴史地名大系5平凡社
- キーワード
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- 内川村(ウチカワムラ)
- 湯ノ又(ユノマタ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土,高齢
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000274837