レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年8月5日
- 登録日時
- 2018/11/02 12:58
- 更新日時
- 2019/01/23 11:12
- 管理番号
- 2018-31
- 質問
-
未解決
「明和七庚寅年六月」作成で、古地図が記された資料の原本又は写しを探している。その資料には、道筋、新谷藩の各村場所、川筋、池の位置、郡分け、身分制度について記されている。当資料を所蔵しているか。
- 回答
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該当の資料は当館には見当たらなかった。
【資料3】に『大洲藩領大絵図』という資料が掲載されている。以下抜粋。
大洲藩領大絵図は、明和七(1770)年に作られた大洲藩領と新谷藩領の村々をすべて描いたもので、寸法が東西三六九センチ南北三〇七センチの巨大な絵図である。測量図ではないので正確なものとはいえないが、デフォルメされつつもよく藩領の形をとらえている。
大洲藩領の郡ごとの区別と新谷藩領の区別とは、村の名前を書き込んだ小判型の村形の色分けにより簡単に分かる。また郡境には黒色の境界線が引かれ、郡ごとに大洲藩領の村数・石高が記されている。さらに一村一村に目を向けると、村ごとに庄屋の家屋や寺社、村境が描かれ、村の立地状況も知ることができる。
情報量の豊富なこの絵図は、殿様が一目で自分の領地のことを分かるようにつくられている。また、上記絵図は以下のHPで見ることができる。
『大洲藩領大絵図』 江戸時代中期/明和7(1770)年 紙本著色 32.0cm×37.8cm 愛媛県歴史文化博物館藏
「文化遺産オンライン」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/274002/1
絵図の概要
大洲藩9代藩主加藤泰候の時代に作成された大洲藩領と新谷藩領の村々を描いた絵図である。絵図裏には「御領中大絵図」とある。大洲藩領の郡ごとの区別と新谷藩領の区別は、村の名前を書き込んだ小判型の村形の色分けにより表現されている。郡境には黒色の境界線が引かれ、郡ごとに大洲藩領の村数・石高が記されている。村ごとに庄屋の家屋や寺社、村境が示されていることが特徴で、その他街道・川・池水・番所などの記載もあるなど、情報量の豊富な絵図である。
【資料4】は発行年不明のため該当の資料ではないと思われるが、参考に紹介する。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 四国地方 (218)
- 参考資料
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- 【資料1】『大洲藩新谷藩研究』(伊予史談会論叢第11編)桜井久次郎/著 大洲藩史料研究所 昭和52年 <当館請求記号:K241-13>
- 【資料2】『シリーズ藩物語 大洲藩・新谷藩』芳我明彦/著 現代書館 2016年 <当館請求記号:K241-ハア-2016>
- 【資料3】『大洲再発見-よみがえる歴史・文化・風景-』 愛媛県歴史文化博物館/編集・発行 平成12年 <当館請求記号:K241-エヒ-2000>
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【資料4】『大洲・新谷之図』 愛媛県立図書館デジタルアーカイブ ※愛媛県行政資料(藩政期・明治期絵図)→郡市町村単位の図→喜多郡→大洲・新谷之図
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/3800115100/3800115100100010/MM-047/
- キーワード
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- 大洲藩
- 新谷藩
- 古地図
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000245066