レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/09/26
- 登録日時
- 2016/10/29 00:30
- 更新日時
- 2016/11/05 15:16
- 管理番号
- 0000001388
- 質問
-
未解決
北海道屯田兵に名前があり、明治22年 篠路村(現在の北海道札幌市篠路) の石川県士族と記載されている人物について調べています。
士族とありますが、調べられるのでしょうか。また、出身地が金沢市古道となっており、その地はどのような沿革があるのでしょうか。
- 回答
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・『加越能文庫解説目録 上巻』の『先祖由緒并一類附帳』を確認しましたが載っていませんでしたので、士族であるという確証は得られませんでした。
この資料は「明治3年(少数はその前後)に金沢藩庁に提出された原本である。その内容は、まず当主の略歴にはじまり、遡って先祖以来の系譜と略歴、ついで当主の4親等まで書きあげた」藩士の先祖由緒帳ですが、注意書に「ただ、明治3・4年の藩士(陪臣を含む)の数は、士族卒族合せて1万7千戸と見られるが、ここに載せたものは11,761点で、凡そ3分の1を欠いたことになる」とあります。
・『屯田兵』の「篠路村配置図」にお探しの人物名がありました。
・『屯田兵入植者名簿』に名前があり、「出身地 金沢市古道 転出先 北海道石狩国札幌郡篠路村」とありました。なお同姓の入植者があり、出身地一致、転出先も同じく篠路村に入植しています。
・『石川県の地名』に「古道(ふるみち) 現金沢市芳斉(ほうさい)2丁目・昭和町(しょうわまち)・元菊町(もとぎくちょう) 古道町からほぼ並行して南へ折れる二本の両側町。(中略)ほぼ武家地で、元禄6年(1693)の侍帳では三社古道ともよばれる。1部の町地は古道町に含まれていたが、文政6年(1923)分離し古道として町立て(「又新斎日録」加賀藩史料)、この時の肝煎は次郎吉、幕末の金沢名尽(金沢市立図書館蔵)には地子地とある。(後略)」とありました。
・『金沢古蹟志』下巻193-194pに「此の地辺を古道と惣名の如く呼べるは、いにしへ宮腰往還の道筋なる故なり。古今集戀4に、いそのかみふるのなか道なかなかに 見ずばこひしとおもはましやと 貫之 斎宮女御集に、鈴鹿山ふるの中道ともよめり。」とありました。137-201pには、「三社神社」「古道之来歴」「古道之清水」等、その界隈の古跡や逸話が記されています。
・その他『屯田兵村に生きる』『屯田兵の北海道開拓と石川県人の活動』『屯田兵物語』を確認しましたが、お探しの人物についての記載は見つかりませんでした。
- 回答プロセス
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屯田兵関連資料を確認。あわせてインターネットで検索する。
「グーグルブックス」(https://books.google.co.jp/)で検索するが、ヒットなし。
「北海道屯田倶楽部」(http://tonden.org/Home/Home.html)の「屯田兵名簿DB」で検索すると、識別番号、入植年月、兵村、兵屋番号、出身地、原籍が確認できた。
「歴史 北海道旭川市東旭川 屯田兵屋」(http://www.asahi-net.or.jp/~XJ6T-TKD/tonden/)の「全屯田兵名簿」の「篠路」で、兵村名、出身、入植年月が確認できた。
平成27年9月26日確認
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝記 (28 9版)
- 参考資料
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- 1 加越能文庫解説目録 上巻 金沢市立図書館∥編 金沢市立図書館 1975.3 K025/15/1 先祖由緒并一類附帳
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2 屯田兵 札幌市教育委員会文化資料室?編集 北海道新聞社 1985.6 611.2/192 202-203p -
3 屯田兵入植者名簿 [19--] 611.2/194 -
4 石川県の地名 平凡社∥[編] 平凡社 1991.9 K290.3/309 388p -
5 金沢古蹟志 下巻 森田 平次∥著 日置 謙∥校 歴史図書社 1976.12 K222/64/3 193-194,137-201p -
6 屯田兵村に生きる 玉井/健吉?著 北海道出版企画センター 1984.7 611.2/183 -
7 屯田兵の北海道開拓と石川県人の活動 森/栄松?[著] [金沢工業高等専門学校] 1969 K611/90 -
8 屯田兵物語 伊藤/広?著 北海道教育社 1984 611.2/189
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000198870