レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年08月13日
- 登録日時
- 2013/08/13 21:48
- 更新日時
- 2013/08/14 00:09
- 管理番号
- 20130813-2
- 質問
-
解決
ガダルカナル島の戦いについて知りたい。
- 回答
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ガダルカナル島の戦い(がだるかなるとうのたたかい) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84/ (2013/08/13確認)
ガダルカナルのたたかい【ガダルカナルの戦】 国史大辞典
太平洋戦争下における、ソロモン群島中のガダルカナル島の攻防をめぐる日米の戦い。昭和十七年(一九四二)六月五日(現地時間四日)のミッドウェー海戦の敗北後も、日本はポートモレスビーとソロモンの攻略をあきらめず、海軍は陸軍に連絡することなく七月以降ガダルカナル島に設営隊を派遣して飛行場を建設した。八月七日米軍が上陸してこれを占拠したので、陸軍は十八日に一木清直支隊をガダルカナル島に上陸させたが、二十日・二十一日の白兵戦で全滅状態となり、一木大佐も自決した。そのため川口清健少将指揮の川口支隊が八月二十九日よりガダルカナル島に上陸したが、米軍の抵抗が激しく、九月十二日・十三日の夜襲で犠牲者が増大したので、日本はさらに丸山政男中将の指揮する第二師団を同島に上陸させ、第三十八師団を第二線兵団として派遣した。しかし八月二十四日の第二次ソロモン海戦、十月二十六日の南太平洋海戦、十一月十二日夜から十四日夜にかけての第三次ソロモン海戦で日本の制海権は失われ、ガダルカナル島は孤立した。・・・
十二月三十一日大本営はガダルカナル島放棄を決定し、十八年二月一日より七日にかけて、夜陰に乗じ「餓島」と化した同島からの撤退を完了した。[参考文献]防衛庁防衛研修所戦史室編『南太平洋陸軍作戦』一・二(『戦史叢書』一四・二八)、服部卓四郎『大東亜戦争全史』、大畑篤四郎『太平洋戦争』上(『近代の戦争』六)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- Guadalcanal Island
- 第二次世界大戦
- 太平洋戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 (2013/08/13確認)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000135316