レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年3月30日
- 登録日時
- 2023/04/01 11:56
- 更新日時
- 2023/05/09 21:25
- 管理番号
- 県立長野-22-226
- 質問
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解決
長野県師範学校教諭「佐久間舜一郎」氏の長野県での経歴・足跡を知りたい
- 回答
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調査した結果は下記のとおり。なお、「なぜ長野に職を得たのか」については、いずれの資料においても確認できなかった。
1 長野県内での経歴・足跡について
(1) 長野県内における職歴等について
○次の資料の「第一部 長野県師範学校 第七節 職員表(六) 明治三十一年より四十五年に至る就任者 (空欄は不明)」に、「就任:明治32年12月 転免年月:(空欄) 受持学科:(空欄) 職名:教諭 出身県:福岡 略歴:検定 姓名:佐久間舜一郎」との記述が確認できる。
・『信州大学教育学部九十年史』 九十年史編集委員会編 信州大学教育学部 1965 【N377/6】 p.214
○次の資料の「信濃教育会各種一覧表 五、常集会一覧表」 p.63に、「明治二四年九月一三日 演説題目:沖縄県の状況 氏名:佐久間舜一郎」と「同年十月一一日 演説題目:本邦歴史談 氏名:佐久間舜一郎」の記述が、同 p.64に、「明治二五年五月八日 演説題目:歴史談 氏名:佐久間舜一郎」の記載が確認できる。
・『信濃教育会五十年史』 信濃教育会編 信濃教育会 1935 【N372/11】
・『信濃教育会沿革概要』 信濃教育会編 信濃教育会 1935 【N372/14】(上記資料と内容、ページ付けは同一)
○『信濃教育 [復刻版] 』明治23年版から明治34年版に掲載されている辞令、職員録、会費領収証、新入会員紹介欄を確認した結果は以下のとおり。
・「信濃教育会費領収証 (中略) 金壹圓 廿五年一月より廿六年二月まで 佐久間舜一郎」
『信濃教育 [復刻版] 第64号~第75号(1892/1~1892/12)』 信濃教育会 第69号 p.11-15
・「信濃教育会雑誌第六十九合附録 明治廿五年六月廿五日 会員姓名 (中略) 佐久間舜一郎」
『信濃教育 [復刻版] 第64号~第75号(1892/1~1892/12)』 信濃教育会 第69号附録 p.8
・「辞令 (中略) 任長野県師範学校教諭 給六級下級 佐久間舜一郎 (十二月五日)」
『信濃教育 [復刻版] 第148号~第159号(1899/1~1899/12)』 信濃教育会 第159号 p.45
・「職員録 (中略) 一調査ハ明治三十二年十二月十日ノ現在ニ據ル 県立師範学校 職名:教諭 俸給:六級下 四〇 氏名:佐久間舜一郎」
『信濃教育 [復刻版] 第148号~第159号(1899/1~1899/12)』 信濃教育会 第159号附録 p.1
・新入会者 (中略) 仝(師範学校内) 佐久間舜一郎君」
『信濃教育 [復刻版] 第160号~第171号(1900/1~1900/12)』 信濃教育会 第168号 p.50
・「職員録 (中略) 一調査ハ明治三十三年十二月十日ノ現在ニ據ル 県立師範学校 職名:教諭 俸給:六級下 四〇 氏名:佐久間舜一郎」
『信濃教育 [復刻版] 第160号~第171号(1900/1~1900/12)』 信濃教育会 第171号附録 p.1
(2) 長野県内における講演・寄稿について
『信濃教育 [復刻版] 総目次』 信濃教育会編 信濃教育会 1971.6 【370/3a】について「佐久間舜一郎」を調査した結果、以下の資料が確認できた。
・「琉球漫遊談」 会員 佐久間舜一郎氏述
『信濃教育 [復刻版] 第52号~第63号(1891/1~1891/12)』 信濃教育会 第59号 p.22-26
・「琉球漫遊談(前号の続)」 会員 佐久間舜一郎氏演述
『信濃教育 [復刻版] 第52号~第63号(1891/1~1891/12)』 信濃教育会 第60号 p.21-28
・「本邦歴史談 第1回」 会員 佐久間舜一郎氏演述
『信濃教育 [復刻版] 第52号~第63号(1891/1~1891/12)』 信濃教育会 第61号 p.25-31
・「本邦歴史談 第2回」 会員 佐久間舜一郎氏寄稿
『信濃教育 [復刻版] 第52号~第63号(1891/1~1891/12)』 信濃教育会 第62号 p.7-9
・「本邦歴史談 (承前)」 会員 佐久間舜一郎氏演述寄稿
『信濃教育 [復刻版] 第64号~第75号(1892/1~1892/12)』 信濃教育会 第68号 p.11-15
・「蘇士運河ノ航路」 在長野 佐久間舜一郎
『信濃教育 [復刻版] 第172号~第183号(1901/1~1901/12)』 信濃教育会 第172号 p.47-48
2 長野県内で発刊された新聞記事及びその関連について
(1) 信濃毎日新聞データベースにおける記事の見出し検索について
「佐久間舜一郎」、「長野県師範学校」をキーワードに、当館が契約している信濃毎日新聞データベースで1873年7月1日から1924年12月31日までの記事の見出し検索を行ったが、「佐久間舜一郎」氏に関連する記事は確認できなかった。
(2) 同データベースにおける「信濃教育総集會」記事調査等について
○信濃毎日新聞データベースの1891年(明治24年)7月1日から8月31日までの2面雑報に関し「信濃教育総集會」の記事を調査したところ、8月4日 p.2 に、「一日午後二時半休憩仝三時十分再會鐡道廳長野支廳工務課の佐久間氏登壇琉球及北海道と題し氏が先年其内地を旅行 見聞せし處の實歷を演ぜられ特に仝氏は言論自由自在にして會員をして笑聲の間に威慨を與えたり」との記述が確認できる。
○次の資料の、「信濃教育会各種一覧表 四、總集會並二に臨時大會一覽表」 を調査したところ、p.40に、「年次:明治二四 會員演説の主なる題目:・・・沖繩の状況・・・」の記載が確認できる。
・『信濃教育会五十年史』
・『信濃教育会沿革概要』
○『信濃教育 [復刻版] 第52号~第63号(1891/1~1891/12)』の第59号(明治二十四年八月廿五日発行) の總集會八月一日の記事中 p.5-6 に、「右報告終りて會長は演説を始むべき旨を告ぐそれより左の諸氏演説ありたれども詳細は追々本紙に掲載することとし今其演題のみを掲ぐ・・・次に佐久間舜一郎氏蘘に全國漫遊の際沖繩縣に至りし時の状況を演説され」との記述が確認できる。
(3) 明治24年前後における『長野県報』、『長野県職員録』における「佐久間舜一郎」氏の掲載等について
○当館が所蔵する明治22年から24年までの『長野県報』に、鐡道廳長野支廳の辞令、職員録の掲載はない。
○当館には、明治20年から29年の間の『長野県職員録』の所蔵はない。
- 回答プロセス
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1 調査依頼者の事前調査により、明治24年に「信濃教育」に寄稿したこと、岡山県立図書館が作成したレファレンス事例から、明治32年から明治34年まで長野県師範学校に教諭として在籍していたこと及び没年月日が大正14年12月14日であることが判明していた。
2 前身が長野県師範学校であった信州大学教育学部の『信州大学教育学部九十年史』により、長野県師範学校での就任年月、転免年月、受持学科、職名、出身県及び略歴を確認した。
3 『信濃教育 総目次』により、「佐久間舜一郎」氏による寄稿等の状況を調査し、会員として6回演述・寄稿していること及び『信濃教育』該当号で内容を確認した。
4 『信濃教育』で「演述」が確認できたことから、『信濃教育会五十年史』及び『信濃教育会沿革概要』の「信濃教育会各種一覧表 五、常集会一覧表」で、演述年月日、演説題目を確認した。
5 明治21年から明治34年の『信濃教育』の各号には、辞令、職員録、会費領収証、新入会員紹介欄があることから、これらを確認した。
6 「佐久間舜一郎」、「長野県師範学校」をキーワードに、信濃毎日新聞データベースで、1873年7月1日から1924年12月31日までの記事の見出し検索を行った。
7 上記データベース1891年(明治24年)7月1日から8月31日までの2面雑報の「信濃教育総集會」の記事調査で、8月4日付記事に「八月一日」「鐡道廳長野支廳工務課の佐久間」氏が「琉球」に関して演説した旨を確認した。また、『信濃教育会五十年史』及び『信濃教育会沿革概要』の「信濃教育会各種一覧表 四、總集會並二に臨時大會一覽表」で会員演説題目を確認した。
8 『信濃教育 [復刻版] 第52号~第63号(1891/1~1891/12)』 第59号(明治二十四年八月廿五日発行) の總集會八月一日の記事で、「佐久間舜一郎」氏が沖繩の状況を演説した旨を確認した。
9 明治22年から24年までの『長野県報』の「辞令」、「職員録」の有無、明治20年から29年の間の『長野県職員録』の所蔵の有無を確認した。
<調査済資料>
・『長野県人名鑑』 信濃毎日新聞社開発局出版部編 信濃毎日新聞社 1974 【N280.3/32】
・『長野県歴史人物大事典』 神津良子編 郷土出版社 1989.7 【N283/13】
・『教育人名大辞典』 尾高豊作編 刀江書院 1936 【372.8/6】
・『教育人名辞典 1上巻』 日本図書センター 1989.1 【372.8/24/1-1】
・『教育人名辞典 1下巻』 日本図書センター 1989.1 【372.8/24/1-2】
・『教育人名辞典 2上巻』 日本図書センター 1989.1 【372.8/24/2-1】
・『教育人名辞典 2下巻』 日本図書センター 1989.1 【372.8/24/2-2】
・『教育人名辞典 3上巻』 日本図書センター 1989.1 【372.8/24/3-1】
・『教育人名辞典 3下巻』 日本図書センター 1989.1 【372.8/24/3-2】
・『日本人名大事典3』 平凡社 1979.7 【281.03/ニホ/3】
・『日本人物レファレンス事典 教育編』 日外アソシエーツ編・刊 2018【281.03/ニチ】
・『図説 教育人物事典 下 日本教育史のなかの教育者群像』
唐沢富太郎編著 ぎょうせい 1984【372.1/カト/3】
・『現代学校教育大事典 7 』 安彦忠彦ほか編著 ぎょうせい 2002.9 【370.33/アタ/7】
・『人物物故大年表 日本人編1』 安彦忠彦ほか編著 日外アソシエーツ 2005【280.33/ニチ/1】
・『信濃教育史概説』 市川虎雄著 信濃毎日新聞社 1933 【N372/8】
・『学友 長野師範学校創立六十年記念』 福島正文編 長野県師範学校学友会 1934【N370/7】
・『学窓そして三十年』 信州大学一期生三十周年記念誌委員会編
一期生三十周年記念事業実行委員会 1979 【N377/20】
・『信州大学教育学部三十年誌』 信州大学教育学部三十年誌刊行会編・刊 1982 【N377/29】
・『信濃教育 [復刻版] 第40号~第51号(1890/1~1890/12)』 信濃教育会
・『信濃教育 [復刻版] 第76号~第87号(1893/1~1893/12)』 信濃教育会
・『信濃教育 [復刻版] 第88号~第99号(1894/1~1894/12)』 信濃教育会
・『信濃教育 [復刻版] 第100号~第111号(1895/1~1895/12)』 信濃教育会
・『信濃教育 [復刻版] 第112号~第123号(1896/1~1896/12)』 信濃教育会
・『信濃教育 [復刻版] 第124号~第135号(1897/1~1897/12)』 信濃教育会
・『信濃教育 [復刻版] 第136号~第147号(1898/1~1898/12)』 信濃教育会
- 事前調査事項
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明治32年から34年まで長野県師範学校教諭を務めた。
明治24年の「信濃教育」に寄稿していた。
没年月日が大正14年12月14日である。
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 地方自治.地方行政 (318 10版)
- 参考資料
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九十年史編集委員会/編 , 九十年史編集委員会. 信州大学教育学部九十年史. 信州大学教育学部, 1965-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058972121-00 -
信濃教育会 編 , 信濃教育会. 信濃教育会五十年史. 信濃教育会, 1935.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000752744-00 -
信濃教育会 編 , 信濃教育会. 信濃教育会沿革概要. 信濃教育会, 1935.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000752743-00
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九十年史編集委員会/編 , 九十年史編集委員会. 信州大学教育学部九十年史. 信州大学教育学部, 1965-00.
- キーワード
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- 佐久間舜一郎
- 信濃教育
- 信濃教育会
- 長野県師範学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000331561