レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年01月19日
- 登録日時
- 2021/02/06 14:23
- 更新日時
- 2021/02/12 13:40
- 管理番号
- 地-200018
- 質問
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解決
「関東大震災後、被災した鎌倉町内の仏像を修理するための臨時工房が鶴岡八幡宮境内に設置され、後に宝戒寺に移転した。当時、奈良美術院の職人が滞在して修理を進めたそうだが、この臨時修理工房についての詳細が分かる資料はあるか。
- 回答
-
以下の資料を紹介した。
・『鎌倉市史 続篇 第7巻 近世近代編』鎌倉市市史編さん委員会編 吉川弘文館 1994
「第五章「文化都市」への模索」の、p.349~351に「寺院・仏像の修造」が立項されており、「仏像の修理は中川技師を中心に、奈良美術院から派遣された、明珍恒男・藤村新治郎・榊本義春・酒依清太郎・新谷徳松・藤田直三・川辺留吉・野間清三・三善光雲・白石宗雄ら彫工・漆工・木工の手により行われた。修造場は、初め鶴岡八幡宮境内に急造されたバラックを用いたが、大正一四年四月宝戒寺に移った。昭和三年五月末日をもって一応の終了とした(以下略)」と記載されている。
・『有鄰 第399号』有隣堂 2001年2月10日発行
p.2~4「座談会 仏像修理-明珍家三代のあゆみ」が所収されており、出席者の明珍昭二氏が「宝戒寺の修理工場」について語っている。p.2には昭和3年頃に撮影された、宝戒寺境内の「鎌倉国宝修理工場」の写真も掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・寺嵜弘康「関東大震災と「社寺文化財」の復旧--神奈川県域を中心に」(『神奈川県立博物館研究報告 人文科学 (28)』2002年)
・東京国立博物館『明珍恒男撮影写真資料の美術史的研究』
以上の2点を確認した。
- NDC
-
- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293573