レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年03月30日
- 登録日時
- 2022/04/23 10:36
- 更新日時
- 2022/06/23 15:24
- 管理番号
- 相橋-R4-002
- 質問
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解決
相模原市緑区の功雲寺について、歴史や寺社領が知りたい。
- 回答
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➀、②、④、⑥~⑫を提供した。
- 回答プロセス
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調べものコーナー寺院の書架をブラウジングしたところ、以下の資料が見つかった。
①『日本名刹大事典』 圭室文雄/編 雄山閣出版 1992 (自館請求記号:R185)
p180「功雲寺【こううんじ】」の項に「〒220-02 神奈川県津久井郡津久井町根小屋二八九六。JR横浜線橋本駅下車西八キロ。曹洞宗、太井山。本寺は下総総寧寺。本尊は釈迦牟尼仏、脇士迦葉・阿難。応永十五年(一四〇八)大綱明宗の開創で、開基は津久井城主内藤左近将監景正。旧末寺が三〇余か寺あり、現存二六か寺。慶長四年(一五九九)徳川家康より五〇石の寺領朱印を賜わる。『延享度曹洞宗寺院本末牒』」との記載あり。
②『全国寺院名鑑 北海道・東北・関東篇』 全日本仏教会/編 全国寺院名鑑刊行会/編 史学センター 1976 (自館請求記号:R185)
p436「神奈川県 ◇功雲(こううん)寺 曹洞宗」の項に、「津久井郡津久井町根小屋二八六九 横浜線橋本駅二粁五
本尊釈迦牟尼仏 境内一七〇一坪 建物本堂百坪庫裡四二坪山門開山堂白山堂鐘楼 寺宝一文字茶釜陣太鼓他二点 由緒応永一五年築城主内藤左近将監景完が居城中当寺を建立、開基となった。開山は了庵慧明の高弟太綱明宗。 -中略- 墓城千二百坪
住職教岡白鳳代表石井八郎」との記載あり。
検索エンジンGoogle(http://www.google.co.jp/ 2022/03/25 最終確認)で、キーワード“曹洞宗、太井山”にて検索した結果、以下の個人のブログが見つかった。
③「気まぐれな神社・仏閣めぐりぶらり旅の備忘録」(https://blog.goo.ne.jp/y0sh1dac1c2f1f2/e/88f3933b5ee620f57f893644b165e7f0/2022/03/25/最終確認)に掲載の「功雲禅寺の石柱(宗派標、寺院標)と津久井城主の墓地の標札」に、「津久井城主内藤景定の墓 -中略- 内藤左近将監景定は、その先を、俵藤太秀郷より出で、初め六左衛門と号し、 -中略- また根小屋太井山功雲寺を開基す。 -後略- 」との記載を確認した。
市内OPACにてキーワード“ネゴヤ”で検索したところ、以下の資料が見つかった。
④『築井古城記』 小川良一/著 丸井図書出版 198112 (自館請求記号:K1-20)
p123-133「三章 城下の里 2 曹洞宗功雲禅寺を訪ねて 昔は七堂伽藍の大寺」の項に、「寺の説明では、いずれも功雲寺の開基としての城主内藤景定夫妻(歴史考証では、代官守屋左太夫行昌夫妻)、城主女(むすめ)夫妻(夫は代官守屋前左太夫行広)を安置したもので、正月、彼岸、盆に回向をしているという。」との記載あり。以降、功雲寺の歴史や来歴、末寺名等の記載あり。他「法灯を継いだ名僧たち」「由緒ある寺宝」と功雲寺に関する記載あり。
⑤『津久井観音霊場札所ガイドブック 改訂』 津久井観音霊場札所会 200811 (自館請求記号:K1-18)
功雲寺の記載なし。
⑥『津久井郡文化財 寺院編』 津久井郡文化財調査研究会 新津久井地域広域市町村圏計画推進協議会 198603 (自館請求記号:K1-06/津久井)
(←『津久井郡文化財 寺院編 [製本]』S26762195 p58-62「27.大井山功雲寺」も同内容。)
p58-60「27.大井山功雲寺」の項に、「一 宗派 曹洞宗、二 所在地 津久井町根小屋二八九六番地、三 本尊 釈迦如来、四 現住職 敦岡白鳳、五 境内地、六 建物、七 寺宝」の他に、「八 沿革 当時は、往古耕雲庵として、宝ヶ峰の裏側、昔の太井村に一小庵としてあったのであるが、築井城主内藤左近将監景定が現在地の根小屋に移転して太井山功雲寺と改め自らその開基となった。そして応永十五年小田原最乗寺の了庵恵明禅師の高弟太綱明宗大和尚によって開山された。-後略- 」とあり、他に寺宝や歴代住職の記載あり。
⑦『津久井町史 通史編 近世・近代・現代』 相模原市教育委員会教育局障害学習部博物館 201503 (自館請求記号:K1-21/津久井)
p106「第三節 寺社領の成立 四 根小屋村功雲寺領 寛文六年検地と功雲寺私領」の項に、「表1-7功雲寺私領分の耕地構成と年貢高寛文6年(1666)」あり。
⑧『津久井城物語』 津久井城山を愛する会/編 津久井城山を愛する会 200103 (自館請求記号:K1-29/津久井)
p27「津久井郡最大の歴史的文化遺産 津久井城主の菩提寺と守護神、そして津久井衆 津久井町郷土誌(昭和62年(1987)3月発行)より」の項に、「◇功雲寺 津久井町根小屋2896 山号 太井山 宗派 曹洞宗 本尊 釈迦如来 現住職 敦岡白鳳」とあり、「沿革その他」の項に、来歴と「 -前略- 道了権現は開山大綱明宗和尚と深いかかわりがあり、津久井城主内藤氏が最乗寺より分身勧請し、城主の守護神としたが、城主内藤大和守の時代天正18年(1590)津久井城落城(6月25日)により、道了権現霊像並びに永20貫文の畠地を功雲寺に寄進した。徳川幕府により寺領50石の朱印が下賜された。」との記載あり。
⑨『津久井地域歴史探訪』 相模原郷土懇話会 200712(自館請求記号:K1-29/津久井)
p7「津久井を知ろう 四、功雲寺」の項に、来歴の記載あり。
⑩『相中留恩記略 全』相中留恩記略刊行会 1967(自館請求記号:K0-29)
p231-233「巻之十二 津久井県 功雲寺 根小屋村」の項に、来歴及び一文書あり。
⑪『相中留恩記略 校注編』相中留恩記略刊行会 1967(自館請求記号:K0-29)
p95「巻之十二 津久井県 功雲寺 根小屋村」の項に、⑩の当該部分に相当する校注あり。「〇功雲寺 功雲寺は根小屋村のあり。曹洞宗にて、下総国国府台惣(総)寧寺末、太井山と号す。開山大綱明宗和尚は応永十七年の示寂なり。開基は津久井の城主内藤左近将監景定なり。天文三年三月廿日卒す。慶長四年、寺領の御朱印を附せらる。御文に、
相州大中郡之内津久井
功雲寺領、五拾石、-後略-」と、
「功雲寺 又、時の御代官彦坂小刑部元正殿より出したる文書あり。その文に、
一 其御寺寺領金原乃内、先高弐拾貫
地之所ニ有之百姓等、一円諸役有 -後略-」との記載あり。
⑫『かながわ風土記 第18号(1979年1月号)』 丸井図書出版 197901 (自館請求記号:K0-29)
p32‐35「津久井城縁りの名刹・功雲寺を訪ねて -幻の城主・内藤大和守景豊と功雲寺の深い因縁。」の項目に来歴の記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185)
- 地理.地誌.紀行 (290)
- 参考資料
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- 『日本名刹大事典』 圭室文雄/編 雄山閣出版 1992
- 『全国寺院名鑑 北海道・東北・関東篇』 全日本仏教会/編 全国寺院名鑑刊行会/編 史学センター 1976
- 『築井古城記』 小川良一/著 丸井図書出版 1981
- 『津久井郡文化財 寺院編』 津久井郡文化財調査研究会 新津久井地域広域市町村圏計画推進協議会 1986
- 『津久井町史 通史編 近世・近代・現代』 相模原市教育委員会教育局障害学習部博物館 2015
- 『津久井城物語』 津久井城山を愛する会/編 津久井城山を愛する会 2001
- 『津久井地域歴史探訪』 相模原郷土懇話会 2007
- 『相中留恩記略 全』相中留恩記略刊行会 1967
- 『相中留恩記略 校注編』相中留恩記略刊行会 1967
- 『かながわ風土記 第18号(1979年1月号)』 丸井図書出版 1979
- キーワード
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- 功雲寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000315365