レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/05/20
- 登録日時
- 2014/12/22 00:30
- 更新日時
- 2014/12/24 09:49
- 管理番号
- 0000001054
- 質問
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解決
加賀藩の勧進(勧進聖)と仏の身代わりについて。
①勧進について。寺院や仏像を荘厳するための勧進、それを行う勧進聖(六十六部または六部)の活動を調べている。具体的な寺院名や僧の名前がわかる史料がないか。
②仏(仏像)が信者の身代わりになって病苦などをうける身代わり観音(地蔵)(代受苦とも言われる)などについて、藩内の礼た知りたい。
- 回答
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(1)勧進・六十六部等について
(ア)『加賀藩史料』(藩末編を除く)を検索しました結果、以下の記事が見つかりました。(お調べの目的と異なる資料が多いかもしれませんが、一応すべてご提示します。)必要な記事について、ご来館の上『加賀藩史料』をご確認いただければと思います。
1 天正十二年三月七日
前田利家、能登珠洲郡法住寺の弘法大師御影堂造営の為に勧進を許す 加賀藩史料
2 寛永七年十月六日
金沢藩、能登鹿島郡石動山大宮坊勧進するを以て、周旋すべきを令す 加賀藩史料
3 寛永十年十月四日
金沢藩、加賀能美・江沼二郡に、能登鹿島郡石動山より出でたる勧進僧に宿泊せしむべきを命ず 加賀藩史料
4 寛永十年十一月十二日
金沢藩、加賀河北郡に能登鹿島郡石動山の勧進僧を宿泊せしむべきを令す 加賀藩史料
5 慶安四年十一月四日
金沢藩、伽耶院札を有せざる山伏及び諸勧進人の入国を禁ず 加賀藩史料
6 寛文三年六月六日
金沢藩、百姓の諸勧進に応じ又は瞽女・座頭招くことなからしむ 加賀藩史料
7 寛文三年七月是月
前田綱紀、江戸に於いて寶生太夫の勧進能を観る 加賀藩史料
8 寛文四年七月二十三日
金沢藩、人形廻・躍子等を宿泊せしめ及び従来行はれざりし諸勧進を禁ず 加賀藩史料
9 天和二年九月四日
諸勧進の出家・座頭等を村内に入ること勿らしむる 加賀藩史料
10 天和二年九月四日
金沢藩、諸勧進の出家・座頭等を村内に入ること勿らしむる 加賀藩史料
11 貞享四年六月八日
前田綱紀、宝生九郎の勧進能を興行すべきを以て、金子等を遣わすべきを命ず 加賀藩史料
12 貞享四年七月二十二日
本日以降、宝生九郎、江戸本庄にて勧進能を興行し家中の士其の他多く之を観る 加賀藩史料
13 貞享四年七月二十六日
前田綱紀、宝生九郎の勧進能を観る 加賀藩史料
14 元禄四年三月二十八日
金沢藩御抱能役者竹田権兵衛京都に勧進能を行ふを以て、金品を付け与す 加賀藩史料
15 元禄十四年十二月朔日
金沢藩、郡中に諸勧進を入るゝこと勿らしむ 加賀藩史料
16 宝永四年七月二十五日
白山々麓尾添村の宝代坊、領国内に勧進を許されたるを告げその心得を示す 加賀藩史料
17 宝永五年五月二十八日
金沢藩、諸勧進及び他国者を民家に宿泊せしむるを禁ず 加賀藩史料
18 享保十一年十月二十九日
能大夫諸橋勧進舞台を建てたるを以て、今日より四日間に亘り興行す 加賀藩史料
19 享保十三年十一月是月
郡中諸村に勧進の徒を徘徊せしむること勿らしむ 加賀藩史料
20 延享二年三月是月
金沢藩、郡方に於いて勧進をなし、又は之を周旋するを禁ず 加賀藩史料
21 文化七年十月二十八日
金沢藩、山伏に勧進許可を証する為、紙札を授く 加賀藩史料
22 天保十三年八月十日
金沢藩、西本願寺末寺再建の為にする勧進に応ずべからざることを告ぐ 加賀藩史料
(こちらのサイトから検索できます。http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html 確認日:2014/05/20)
(イ)『石川県史』第2編・3編を「勧進」で検索しますと、以下の記事が見つかります。
・『石川県史』 第三編 學事宗教 第十節 佛教 東本願寺末寺p554 ~ 557
「寛永十一年の春より、六條の末寺造營として、三ヶ國郡中町中寄進勸進相調、屋敷平均おびたゞし。」〔三壺記〕
(こちらのサイトから検索できます。https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/1700105100 確認日:2014/05/20)
(ウ)芝田悟「金沢市米泉町に所在する「六十六部廻国供養塔」について」(『石川考古学研究会々誌』37号 石川考古学研究会 1994-03)p89に、「県内における廻国塔一覧表」があり、6基の廻国塔を紹介しています。
(エ)小倉学『加賀・能登の民俗 第3巻』p220~221に
「金沢・五郎島の庚申講 5 由来と変遷」の中に、正徳5年(1715)の銘のある五郎島の水月院横の路傍に立つ通称”六部の墓”と伝える供養碑を紹介しています。
(オ)事前調査されました岩倉寺の例につきましては、
『奥能登と時国家 研究編2』p71~97窪田涼子「奥能登岩倉寺の復興と地域社会」という論文があります。
(2)身代わり観音・身代わり地蔵について
(ア)塩入秀敏「身代わり地蔵伝説小考 : 危急危難型身代わり地蔵伝説、とくに金焼地蔵伝説について」(『上田女子短期大学紀要 25, A21-A32, 2001)に
「危急危難型身代わり地蔵伝説の分布と類型」という一覧表があり、全国の身代わり地蔵伝説がまとめられています。
石川県の例を抄出すると以下の通りです。
・石川県金沢市夕日寺町/身代わり地蔵/賊難型/伝灯寺の地蔵堂に泊まった僧が泥棒に襲われる。地蔵が身代わりになり鼻の先に刀傷。
・石川県金沢市伝灯寺町/身代わり地蔵/賊難型/伝灯寺開山運良和尚の危難の身代わり。
・石川県金沢市/身代わり観音/賊難型/永福寺の住職が倶利伽羅峠で山賊に襲われる。その時、寺の観音像が身代わりに立つ。
・石川県羽咋郡志賀町仏木(ほとぎり)/ションベン/賊難型/子どもが粘土を小便でこねて造った仏像を旅僧が貰い受ける。その仏像が危難の身代わりに。
(こちらのサイトで全文を読むことができます。http://ci.nii.ac.jp/els/110006998005.pdf?id=ART0008909338&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1400554876&cp= 確認日:2014/05/20)
(イ)現在に残ろる身代わり地蔵の伝説について「北國新聞」のデータベースにより捜してみると多数見つかりました。
まとめると、①伝燈寺の身代わり地蔵 ②粟崎の身代わり地蔵の記事が多く、その他に③広岡の放生寺 ④野町の成学寺の例になります。それぞれ記事の内容を紹介します。
・2002年05月23日(木)朝刊15頁「加越能・ふるさとの民話(17) 伝燈寺の身代わり地蔵(金沢市)」
(伝説が全文掲載されています。)
・2005年08月23日(火)朝刊34頁「身代わり地蔵、住民らが供養 金沢市・粟崎でまつり」
「粟崎地蔵尊世話人会の「地蔵まつり」は二十日、金沢市粟崎町の粟崎地蔵尊で行われ、住民ら約三十人が地蔵尊を供養した。まつりは藩政期に村を救うため罪を被り、処刑された若者を弔う「身代わり地蔵」をしのんで毎年行われている。・・・」
・2004年12月06日(月)朝刊26頁「金沢駅から21世紀美術館、名所旧跡訪ね 歴史探訪ウオーク、旧町名の由来も学ぶ」
「・・・観光ボランティアガイドまいどさんの五人が案内を務め、一行は天然痘を治したと伝わる曹洞宗放生寺(同市広岡一丁目)の身代わり地蔵や・・・を見学。」
・1997年09月20日(土)朝刊29頁「学芸/ほくりく古寺巡礼、成学寺(金沢市野町1丁目)、住職・小坂成敏、芭蕉など5つの句碑」
「・・・地蔵堂の石像は金沢地蔵菩薩巡礼二十四カ所の十九番目にあたる。災厄を人に替わって引き受ける身代わり地蔵として知られる。・・・」
- 回答プロセス
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1.東京大学史料編纂所データベース、加賀藩史料で「勧進」で検索
2.TRC-ADEAC「石川県史」で「勧進」で検索
3.「石川県関係雑誌記事検索」で、「六十六部」「六部」で検索
4.小倉学著作集の索引で「六十六部」「六部」を検索
5.CiNiiiで、「身代わり地蔵」「身代わり観音」を検索
6.「北國新聞データベース」で「身代わり地蔵」「身代わり観音」を検索
7.当館蔵書検索で「岩倉寺」を全文検索
- 事前調査事項
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①については、『図説石川県の歴史』河出書房新社のp116に珠洲の岩倉寺の勧進があります。
これについては参考文献が示されていません。
『三州奇談』の「玄門の巨仏」には、大仏再建につとめた勧進僧の話があります。
②『三州奇談』の「玄門の巨仏」に、汗を流し病気をなおした阿弥陀が登場します。東京小石川には眼病治癒の「こんにゃく閻魔」がありますがー〇〇観音などを探しています。
- NDC
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- 仏教 (18 9版)
- 参考資料
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- 1 加賀・能登の民俗 第3巻 小倉/學?著 三橋/健?監修 瑞木書房 2005.3 K382/1011/3
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2 奥能登と時国家 研究編2 神奈川大学日本常民文化研究所奥能登調査研究会?編 平凡社 2001.8 K210/17/2
- キーワード
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- 勧進
- 身代わり地蔵
- 身代わり観音
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000165184