レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/01/29
- 登録日時
- 2014/07/16 00:30
- 更新日時
- 2014/08/13 12:22
- 管理番号
- 0000000200
- 質問
-
解決
本願寺第五世玄慶(1409年~1467年)の生まれた時から死ぬまでの事跡を知りたいので書かれている書籍を教えていただきたい、なるべく石川県図書館の蔵書の中で貸し出せる書籍を教えていただきたい。
お願いいたします。
- 回答
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玄慶の名前が出て来る当館所蔵資料を以下挙げる。
①『加能郷土辞彙 改訂増補』(日置謙編、1979年6月、北国新聞社発行、貸出不可・複写可)
p.503 「善福寺」の項
ゼンプクジ 善福寺 金沢材木町に在つて、真宗東派に属する。越前藤島超勝寺如遵玄慶の四子順慶之を石川郡大桑に建て、昌胤・教勝相襲いだ。…
②『一向一揆と越前超勝寺』(高道正信著、1972年2月、超勝寺門信徒会発行、貸出可能)
p.25「玄慶 童名瑠璃寿、法名如遵、超勝寺住、号藤島、応仁元、正月十八日卒五十九、母菅原氏」
p.28「超勝寺御歴世…二代如遵玄慶法印権大僧都 応仁元丁亥年正月十八日卒 五十九才」
p.74「二代如遵 童名瑠璃寿。藤島と号す。応永十六己丑に生れて権大僧都法印玄慶と号す。応仁元年丁亥正月卒。寿五十九歳。
③『加能真宗僧英伝』(貸出可能)
p.248「玄慶。 加州弘願寺五世。假號太夫。文亀元年十一月没、四十五歳。(諸家分脈系図)」
(③は①②とは別の人物と思われるが、参考までに挙げておく。)
玄慶は、問合せの文面にあるように、応永16年(1409年)に生まれて、応仁元年(1467年)に亡くなっている。
①②によれば、童名瑠璃寿、越前藤島超勝寺の二代目として権大僧都の位までのぼり(如遵玄慶法印権大僧都。)、59歳まで生きている。
本願寺五世綽如時芸の孫であり、父は綽如の次男頓円鸞芸。その長男として生まれている。母は菅原氏、玄慶自身も菅原氏より妻をもらっている。
玄慶の四子順慶が、現在の石川郡大桑に善福寺を建て、昌胤・教勝と継いでいったと、①の資料には出ている。
- 回答プロセス
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まず①にあたり、「超勝寺」をキーワードに検索して、②の資料にたどりついた。
③は石川県関係人物文献検索で探した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 参考資料
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- 1 一向一揆と越前超勝寺 高道 正信∥著 超勝寺門信徒会 1972.2 913.6/2686 p.25、28、74
- 2 加能郷土辞彙 改訂増補 日置 謙∥編 北国新聞社 1979.6 K030/1 p.503
- キーワード
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- 玄慶
- 綽如
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000156181